A 人や物事への依存というものから、
どのようにして抜け出すことができますか?
B 依存が何をしてきたかを見ることによって
私たちは依存から自由になることができます
依存したから自分の足で立てなくなったという事実…
依存したせいで自力で答えを見出す力を失ったという事実…
依存しているものが行動を制限しているという事実
依存が嫉妬や憎しみという感情を生むという事実..etc
※『執着心が行動を制限する 』
このように依存が何をもたらしてきたかを理解すると
自然に依存という危険な場所から離れるようになります
だから事実をしっかりと見つめることが
依存から抜け出す第1歩であると同時に
最後に踏み出す1歩なのです
A 依存と気づかない依存もありますよね
B 自分が依存しているものに気づかなければ、
どうしようもないですね
依存しているという自覚がないわけですから
依存から抜け出すことなどできません
ただ依存しているときには必ず、葛藤や痛みといった
不快な感情が伴うのでこれらを通して依存しているという
事実に気づくことができます
A 気づくことが1つの収穫と言えますね
B はい、気づいたら依存という問題をほとんど
解決できたと言ってもいいのですが…
殆どの人が依存しているという自覚はあっても
依存を正当化したり何か or 誰かのせいにしたり
解決法を模索したりとありとあらゆることに
エネルギーを使うので依存を直視するエネルギーが残されていません
だから彼らは依存に部分的にしか気づいていないために
理解することができてはおらず、依存から自由になれていません
依存というものがどのように起こるのかということを
理解することさえできれば依存から自由になれるのですが
依存の構造を理解することに意識が向いていないので
殆どの人は依存から抜け出せないでいる、というわけです
依存から抜け出すために大切なのは
自分が依存していることに気づいたら
依存している心を注視することです
依存は何と恐ろしいものかと言ってそれから逃げ出したり
依存している自分を批判したり嫌ったりしないで
依存している心を真っ直ぐに見つめることが大事です
依存している心をありのままに見つめる正直さと情熱があれば
依存はすぐさま解体し心は新生します
※『情熱が観察には不可欠』
『解決法を探すことは問題から逃避すること』
A 私は自分の依存心を観察しているつもりですが
様々なことに依存しているので、あなたの言う
情熱的な観察というものができてないようです
B それは先ほど述べたようにあなたが依存心にとどまるかわりに
思考の言いなりになって観察が疎かになっているから
ではありませんか?
思考の言いなりとはどういうことかというと…
依存している自分のことを正当化したり
依存を社会や環境や両親のせいにしたり
依存という問題から娯楽に逃避したり
依存から自由になる方法を探すことに
エネルギーを使うことを思考の言いなりになると言います
あなたが持っている殆どのエネルギーが
これらの活動に注がれてはいませんか?
自分自身の行動を観察して確かめてください
依存心を見つめることより依存心をどうしたものかと
考えることに意識が向いているのではないですか?
もしあなたがこれらの活動が無駄であることを理解したら
どうなるでしょう?
あなたはエネルギーを浪費しなくなります
エネルギーを浪費しなくなるとはつまり…
思考でアレコレ考えることが止まります
依存を解決してくれそうな本を読むことに
時間を無駄にすることも、両親の育て方が
悪かったなどと責任転嫁することもありません
代わりにこれまで浪費されてきたすべてのエネルギーが
依存心を観察することに注がれます
どのような種類の活動にも従事していない精神だけが
物凄いエネルギーを持つのです
この強力なエネルギーが情熱的な観察を可能にします
このようなパワーでなされた情熱的で鋭利な観察が
観察されたもの~依存心~を瞬時に解体するのです
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