精神を腐敗させるのはお金ですか、欲望ですか?

2020/03/29

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質問

お金を稼ぐ能力があるということは、
精神が無能ということではないですか?




 

お金を稼ぐ能力がある人の精神は無能?



あなたはご自身の問いについて、
ご自身で調べましたか?
お金を稼ぐ能力がある人の精神は無能、
というのは事実ですか?
  
個人的なことを言うと、
私はこの能力が欠如していますが、
しかしそうだからといって私が、
『お金を稼ぐ能力がある人の精神は無能』
という自分に都合のいい結論に至るなら、
それは私個人の意見や判断に染まっており、
真実ではありません。

正しさなんて人によって違う、
正しさとは相対的なものだ、
などという主張をよく耳にしますが、
本当にそうでしょうか?

〈正しさ〉は、人の見方や、
評価の仕方によって異なるものではなく、
個々の知識によって考え出された、
概念の問題でもありません。

〈正しさ〉はあらゆる自分本位の動機が、
ないときに生まれるのではないでしょうか?

ですから真相を究明するには、
意見から結論から、
自由でなければなりません、

そうでなければ意見や結論が、
答えを限定することになるので、
私たちは部分的にしか理解できません。

このことをきちんと理解しましょう。





必要以上を求めることは貪欲さ



『その金全てを得ようとするほど利口になる為には、
 それを欲しがるくらいに愚かでなければならない』

             〜G.K.チェスタトン〜


彼の言葉は事実ではありませんか?

必要以上を求める行為は、
その人物の内面の貧しさを表します。

お腹が満たされると、
食べ物をそれ以上欲しないように、
心が満たされていると、
必要以上のものを求めません。

あなたはこのことを、
指摘したかったのではないですか?

お金を稼ぐ能力のある人は、
手の届くところにお金や権力があるので、
精神は腐敗しやすいかもしれませんが、
しかしお金を稼ぐ能力のある人がすべて、
必要以上のお金を求めるわけではないので、
お金を稼ぐ能力のある人の精神が無能、
というのは事実ではありません。





問題は人間の欲望



ご自分がお金に対して偏見を持っていないか、
この機会に、調べてみては如何でしょう。
 
お金に対する偏見や嫌悪感があると、
正しい答えを導き出すことはできないので、
探究する前に偏見をもっていないか、
調べる必要があります。

そして問題はお金ではなく、
お金を貪欲なまでに欲する、
人間の飽くなき欲望ではないでしょうか?

飽くなき欲望が精神を堕落させるのであって、
お金を稼ぐ能力がそうするのではありません。

ですから欲望が私たちに、
何をしてきたかを歪みなく見てとり、
欲望の構造とそのふさわしい場所を、
理解することが大切です。

そうすれば欲望が適切な範囲を超えて、
機能することはなく、
従って依存や中毒に形を変えることなく、
適切な場所で正常に機能します。



ですから問いに対する答えは...

生活に必要なお金を稼ぎつつ、
お金に執着しないよう、支配されないよう、
十分に気をつけていれば、
お金を稼ぐ能力があるないに関わらず、
彼の精神が腐敗することはありません。





精神を観察する



この記事を読んで、
お金に精神が染まっているな、
と気づいた人は、
お金を忌み嫌うのではなく、
お金に染まった精神を見つめましょう。

お金を呪うことは簡単ですが、
腐敗した精神に直面することは、
そんなに簡単ではありません。

事実に直面するためには、
正直さがなくてはなりません。

正直者は自らの心の貪欲さから逃げずに、
直視します。

事実にとどまるこのような徹底的な観察が、
貪欲さを焼き尽くします。

欲望の生みの親である、
利己性をすっかり焼き尽くすのです。

こうして私たちは、
必要なお金を稼ぎながらも、
貪欲さに染まらずに、
精神を純粋に保つことができるのです。

お金は欲望を駆り立てるからと、
お金を遠ざけるのではなく、
お金に染まらない精神を、
もつことが大切です。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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