自己受容が大事だと多くのカウンセラーは言いますが、
はたして本当にそうでしょうか?
自己受容も自己否定も同じ穴のムジナではありませんか?
自己受容は「自分を愛しなさい」という、
ニューエージ的発想と似て、言葉の響きはいいですが、
それが私たちをますます混乱させています。
自己受容を推奨する人たちのアドバイス
◎ 否定せずに、ありのままの自分を認めましょう
◎ ありのままの自分を受け入れて抱きしめましょう
◎ 否定ばかりしている自分を許しましょう
◎ 自分を許すと、内側から愛が溢れてきますよ
どのようにして「自己受容」は生まれたのか?
このようなアドバイスが厄介なのは、
少しの真実が混じっているからです。
彼らはあなたに自分を否定するのを止めて、
受けいれなさいと助言します。
これはどういうことかと言うと、
多くの人が自己否定ばかりしているから、
自己否定とは真逆の自己受容を、
追い求めようというのです。
真実は否定ばかりする自分がいる、ということですが、
この真実に向き合わずに自己受容という概念を、
作り出してそれを追いかけているのです。
しかしこの自己否定も自己受容をよく調べると、
同じ穴のムジナだということがわかります。
否定/受容するのは誰?
◎ あなたを否定するのは誰ですか?
◎ あなたを受け入れるのは誰ですか?
◎ あなたを許すのは誰ですか?
◎ あなたを認めようと努めているのは誰ですか?
それは他でもないあなた自身、あなたの中心にいる、
【わたし・自己・セルフ】です。
つまり【わたし】が【わたし】を否定したり肯定したり、
許したり認めたりしているのです。
あらゆる行為の行為者は【わたし】です。
ですから、行為者である【わたし】がいるのが問題であって、
自己を否定・肯定することではないのです。
さて、この【わたし】の正体は何でしょう?
【わたし】の正体
【わたし】とは何ですか?
【わたし】はあなたの名前、あなたの肉体です。
【わたし】はあなたがこれまで経験したもの全てです。
【わたし】はあなたがこれまで蓄積してきた知識です。
【わたし】はあなたがこれまで生きてきた過去の集大成です。
【わたし】はあなたの思考そのものです。
【わたし】の中身
あなたと私の【わたし】の中身は異なります。
それは人によって経験が異なるからです。
私はスポーツにあなたは芸術に精通いていれば、
私とあなたの知識、思考パターンは異なります。
私は育った環境が過酷だったために、
お金だけを信じてきましたが、
あなたは異なる経験をしているので、
私とは異なるものを信じています。
このように【わたし】の中身は育った環境や、
経験によって異なります。
影響を受けた人物や書物によって違います。
興味のある分野が違うので、個々の知識は異なるのです。
断片的な思考はぶつかる
断片は断片とぶつかります。
思考がいつも断片的であるが故に、
人は考え方の違いでぶつかります。
あなたがキリスト教徒なら、
カトリック教徒の人とぶつかります。
あなたが黒人に偏見を持っていれば、
彼らと衝突します。
神を信じるなら、あなたは無神論者と対立します。
このように断片同士(思考)は必ず衝突します。
思考はいつも断片的
どのような思考も断片的です。
断片的な思考は混乱をもたらします。
ですから思考から生じた自己否定や自己受容も、
断片的であり、混乱をもたらすのです。
分離があるところには必ず衝突が起こり、
衝突が混乱をもたらするのです。
このような思考の本質・構造を理解すると、
自己受容も自己否定も同じ仲間だということがわかります。
というのも否定するのも受容するのも、
思考本人だからです。
他でもない思考が、自己を否定し受容しているのです。
自己受容は自己否定と同じ思考の働き
自己を否定する癖を直そうと、
自己受容に励んでも無駄です。
なぜならどちらも思考の運動だからです!
ネガティブ思考とポジティブ思考が
どちらも思考の動きであるのと同じです。
思考自体が問題なのに、
否定的なことを考えないようにしよう、
ポジティブなことを考えようとしても無駄なのです。
なぜならそのように指示するのは、思考だからです。
ですから思考が問題なのだということに、
気づきましょう。
理解すると思考は静かになる
私たちに必要なのは....
◎ 思考には限りがあることを理解すること
◎ あらゆる思考は断片的であり、
ゆえに分離・衝突・混乱を招くことを理解すること
思考が混乱を生むことを洞察すると、
思考は静かになります。
これまであなたは、落ち込む原因、
不安になる原因がわかりませんでした。
しかし今それが思考だとわかります。
すると頭の中のおしゃべりは止みます。
自己受容の虚偽を見る
自己を否定することを止めて逆の肯定に走っても、
あなたは自己を否定していたときと同じように、
思考に従って行動しているだけなのです。
思考は私たちの気分や行動に、
大きな影響を及ぼしているのです。
ですから思考が何をもたらすのか、ご自分で調べましょう。
思考は悲しみや憂鬱、不満感、不足感をもたらします。
安心や希望、優越感や自尊心をもたらします。
しかしあなたは、一方だけを選ぶことはできません。
安らぎや安心感を手に入れるために、
あなたが思考を活用するなら、
不安や憂鬱、絶望感といったものも、
ももれなく付いてきます。
二つセットで、あなたの所にやって来ます。
良い所取りをすることはできないのです。
不安や憂鬱、恐れや悲しみから自由になるには、
思考を丸ごと捨てなければなりません。
そして強烈な観察が、それを可能にします。
強烈な観察が、思考の動きをストップします。
思考の虚偽を強烈に見たとき、思考は止みます。
思考の虚偽を洞察したあなたは、
考えが頭をよぎる瞬間に気づけるので、
思考は作動しません。
思考が止むと..
これまで思考の構造を理解しなかったあなたは、
思考の言いなりでした。
思考に振り回されるだけ振り回されて、
あなたは落ち込んでいました。
あなたは思考にどっぷりと浸かっていたのです。
しかし思考の構造を理解した今、
あなたは思考のイタズラを見逃しません。
思考に非常に敏感なので、
思考がよぎる瞬間に気づけます。
つまりあなたは思考に振り回されることなく、
必要な時に思考を働かせることができるのです。
あなたはもう、自己否定や自己受容という、
思考のゲームに参加することはありません。
このように思考の虚偽を理解するとき、
あなたは思考に左右されなくなります。
刻々と観察すると思考は止み、
そのときあなたはようやく生の美に出会います。
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