思いやり・優しさ・責任感はあるかないか

2019/12/09

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A どうして多くの人々は、物事を二分的に見ようとしてしまう
  のでしょうか。

  あの人は責任感がある、あの人は責任感がない、
  あの人は思いやりがある、あの人は思いやりがないという風に。
  しかし正確には責任感も思いやりも、
  その程度の差ではありませんか?



私 本当にそうでしょうか?

  白に黒が混ざった時点でもうそれは白ではありません。
  
  思いやりや責任感に異物が混じった時点で、
  それはもはや思いやりや責任感ではなくなります。

  

  あなたが仰るような程度の差はグレーの濃さには現れますが、
  それはグレーであり白ではありません。

  黒がどれだけ混ざるかによってグレーの濃さは変わりますが、
  それはもう白ではないのでグレーの中に白色を
  見出すことはできません。
  
  つまりそこにはもう思いやりも責任感も存在しません。
  


A つまりあなたも二分的に見るということですね?


私 言葉ではなく、先程私がお話したことを考えてみてください。

  黒が少しでも混じっている時点で、
  それはもう真っ白ではないということであって、
  決して二分的というわけでもありません。

  グレーに黒が混ざっていることは事実であり、
  純白とそれ以外(黒・グレー)に分類するなら
  二分的ということになりますが、
  世の中に白と黒しかないと申し上げている訳ではありません。



A しかし思いやりにはやはり程度があります。



私 程度があるものは思いやりではないと申し上げているのです。

  あなたが仰っているのはグレーの濃淡についてであり、
  グレーはもはや思いやりではなく、
  何か別のものです。

  白は白でしかなく、そこに他の色が混じらないかぎり、
  白色に程度の差はありません。

  思いやりの気持ちに我欲が混じるとき、
  もうそれは思いやりでも何でもなくて何か別のものなのです。



A しかし自我のない行為などというものがありますか?


私 それをあなたと私で一緒に調べてみませんか?
  自我のない行為というものがあるのかどうか。


A そのような行為は不可能です。


私 あぁ、あなたは自我のない行為は不可能だという、
  結論にもう達していらっしゃるのですね?  
  それでは自我のない行為が可能かどうかを、
  見出すことができません。

  関連記事:結論は探究心を殺す



A ええ、しかし可能ですか?


私 私たちが自分の一挙一動に注意を払うとき、
  自我の働きは止みませんか?

  ゲームに熱中する子供の心がゲームに奪われるように、
  自然の美しさに触れると自分の悩みが消えるように、
  私たちが自分の一挙一動を注視するとき、
  自我が入り込む余地はありません。

  



A 仰りたいことはわかりますが、
  いつもいつもそのように注意を払うのは無理です。


私 そうかもしれません。しかし注意散漫になったときに
  気づいていることは可能ではないですか?

  「考え事に夢中になっていたな」
  とふと我に帰りまた注視することはできます。

  関連記事:思考に気づくと思考は止む



A しかしそれではいつもアンテナを張っていなければ
  ならないことになります。
  それでは疲れてしまいます。


私 えぇ、殆どの人はそのような鋭い観察を、
  自分自身に向けることなく生活しているので、
  疲労困憊してしまうでしょう。

  でもそれは彼らの精神が非常に鈍くなっているからです

  ひとたび鋭利な観察が自己を焼き尽くす鍵であると気づくと、
  あなたの精神は非常に鋭敏になります。

  戸外の冷気に接し身震いするように、
  精神は奮い起こされて鋭敏になり、
  あらゆることに気づいていることが可能になります。



A なんだか疲弊して人生を楽しめなくなりそうですが。


私 そうですか?
  鈍感な精神は生の精妙な美しさに気づけませんが、
  鋭敏な精神はどんなに小さな美しさも、
  また虚偽も見逃すことはありません。

  

  精妙な精神こそが、私たちを危険から守ってくれるのです。

  腐敗に染まることから、思いやりなく生きることから、
  私たちを守ってくれるのは私たちの鋭い観察です。

  誠実に美しく自由に生きることを可能にするのもまた、
  鋭い観察が可能な鋭敏な精神です。

  そのとき私たちのとるすべての行為に、
  優しさや思いやり、責任感が浸透するのです。

  

  

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