愛と憎しみ:憎しみはエゴから生じ、愛はエゴが止むと現れる

2019/12/02

愛 真理 自由 秩序 関係 思考 利己的な私

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愛と憎しみは、まったく違うもののようにみえて、
実は同じものであるという可能性はありますか?
その相手に捕らわれている点では一緒だし。





愛と憎しみは同じもの?



もし愛と憎しみが同じものであるなら、
愛は憎しみの性質をもっていることになります。

果たしてそうでしょうか?

ヒマワリの種からバラは咲かないように、
愛の種からは愛が、憎しみの種からは憎しみが、
開花するのではないでしょうか?



黒と白が混じり合うことのないように、
愛と憎しみが混じり合うことはないではありませんか?




愛は特定の人に限定されるか?



愛は、特定の人に限定され得るものでしょうか?
愛が特定の人に、囚われることがあり得るでしょうか?

愛は排他的ですか? それとも愛は太陽のように、
全方向に開いていて包括的なものですか?

私がある人を愛さなくなったからといって、
愛は消えることなど決してなく、
私を通して流れるものが愛ではありませんか?

愛する人がこの世からいなくなると、
愛が消えるのだとしたらそれは、
愛とは別のものではありませんか?

なぜなら愛する人がいなくなって消えてしまう愛は、
因果の法則に囚われており、時間に束縛されています。

つまりその愛は、時間から自由ではありません。
その愛には理由があるということです。




愛することに原因はあるのか?



自分に優しいから愛してくれるから愛する、
自分の言うことを聞いてくれるから彼を愛している、
良い暮らしをさせてくれるから愛している、 

このように原因のある愛情は、本当の愛ですか?

自分の益になる人を愛するのは、
何とも利己的な愛情ではありませんか?

愛に利己性が存在するでしょうか?
愛は思考によって為されるのものでしょうか?

それとも愛は原因をもたないもの、
思考や時間を超えたもので、
対象を必要としないのではありませんか?

ですから対象を必要とする憎しみとは違い、
思考から生まれる憎しみとは違い、
愛は特定の対象を必要とせず、
思考を超えたものではないでしょうか?

憎しみは自我から生まれますが、
愛は自我がむときに、
現れるものではないでしょうか?

憎しみは自我が相手に執着することで生まれますが、
愛には自我の影はありません。






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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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