主観から離れて優しさ・誠実さを問う

2019/12/03

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A 自分に対して厳しい人は自分を鍛えてくれ、
  自分に対して優しい人は自分をダメにしてしまうので、
  前者の方が自分にとっては良い人ですよね?



私 まずご自分の問いをよく見つめてください。
  あなたは自分中心に考えていませんか?
  
  あなたを鍛えてくれる人が良い人で、
  あなたをダメにしてしまう人が良くない人、
  それはあなたの主観ですよね?

  あなたが仰るように主観で判断するなら、  
  あなたに厳しい人はあなたを鍛えてくれるので、
  あなたにとっては良い人かもしれませんが、
  それはあなたの利己的判断によるものなので、
  相手が本当に良い人だとは言えません。

  主観的思考から自由にならないかぎり、
  私たちは優しさの本質を掴むことはできません。

  ですから大事なのはあなたの主観ではなく、
  良い人とはどのような人なのか、
  優しい人というのはどのような人なのかを、
  理解することではありませんか?



 しかし誰にとっても良い人、優しい人なんていますか?



私 私たちが主観から離れないかぎり、
  誰にとっても良い人・優しい人は存在しません。

  各々の主観が入ると、
  観察はその人色に必ず染まってしまうからです。

  100人が主観で判断するなら、
  個々にとっての良い人は異なるでしょう?

  しかし想像してみてください。

  あらゆる人が主観から離れることができたとしたら、
  良い人・優しい人というのは、
  太陽のように誰にとっても良い人・優しい人です。



A なるほど。ではどのような人が優しい人ですか? 



私 本当に優しい人というのは、
  ありのままのあなたを見てくれる人ではありませんか?

  あなたが過ちを犯したときには、
  それをきちんと指摘してくれる人ではないですか?
  
 「指摘したら相手も嫌な気分になるだろうし、
  自分もいい気はしないから止めておこう」
 「嫌われたくないからいつも通り優しくしよう」
 「関係がこじれるのは嫌だから指摘するのは止めよう」
 「指摘するのも疲れるからなあ....どうしよう」

  このように自分の利己的な思考によって、
  相手に対する態度を決めるのではなく、
  相手を想うからこそ敢えて指摘する人が、
  本当に優しい人ではないですか?

  批判や攻撃、マウンティングに見られるような
  エゴの働きの一切ない指摘、
  相手に対する愛情から指摘する人が、
  誰に対しても優しくて誠実な人ではありませんか?



A そのように優しくなりたいものです。



私 なろうとせずに、そうでありましょう!

  あなたが優しくなろうするとき、
  そうなるための時間や修練が必要ですが、
  今この瞬間にあなたが優しくあるとき、
  時間や努力は必要ありません。

  優しさを洞察した瞬間に、行動は変わります。

  そこになりゆく時間や努力は必要ありません。

  優しさを閉め出している利己的な思考に注意を払い、
  利己性が顔を出しそうになるときに気づくことができれば、
  利己的な思考があなたの行動を決定することはありません。

  つまりあなたの行為が利己性に染まることはありません。
  あなたの行為に、優しさや思いやりが生まれます。

  このとき、優しくなろうと努力しなくても
  あなたは優しいのです。

  

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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