A 自分に対して厳しい人は自分を鍛えてくれ、
自分に対して優しい人は自分をダメにしてしまうので、
前者の方が自分にとっては良い人ですよね?
私 まずご自分の問いをよく見つめてください。
あなたは自分中心に考えていませんか?
あなたを鍛えてくれる人が良い人で、
あなたをダメにしてしまう人が良くない人、
それはあなたの主観ですよね?
あなたが仰るように主観で判断するなら、
あなたに厳しい人はあなたを鍛えてくれるので、
あなたにとっては良い人かもしれませんが、
それはあなたの利己的判断によるものなので、
相手が本当に良い人だとは言えません。
主観的思考から自由にならないかぎり、
私たちは優しさの本質を掴むことはできません。
ですから大事なのはあなたの主観ではなく、
良い人とはどのような人なのか、
優しい人というのはどのような人なのかを、
理解することではありませんか?
A しかし誰にとっても良い人、優しい人なんていますか?
私 私たちが主観から離れないかぎり、
誰にとっても良い人・優しい人は存在しません。
各々の主観が入ると、
観察はその人色に必ず染まってしまうからです。
100人が主観で判断するなら、
個々にとっての良い人は異なるでしょう?
しかし想像してみてください。
あらゆる人が主観から離れることができたとしたら、
良い人・優しい人というのは、
太陽のように誰にとっても良い人・優しい人です。
A なるほど。ではどのような人が優しい人ですか?
私 本当に優しい人というのは、
ありのままのあなたを見てくれる人ではありませんか?
あなたが過ちを犯したときには、
それをきちんと指摘してくれる人ではないですか?
「指摘したら相手も嫌な気分になるだろうし、
自分もいい気はしないから止めておこう」
「嫌われたくないからいつも通り優しくしよう」
「関係がこじれるのは嫌だから指摘するのは止めよう」
「指摘するのも疲れるからなあ....どうしよう」
このように自分の利己的な思考によって、
相手に対する態度を決めるのではなく、
相手を想うからこそ敢えて指摘する人が、
本当に優しい人ではないですか?
批判や攻撃、マウンティングに見られるような
エゴの働きの一切ない指摘、
相手に対する愛情から指摘する人が、
誰に対しても優しくて誠実な人ではありませんか?
A そのように優しくなりたいものです。
私 なろうとせずに、そうでありましょう!
あなたが優しくなろうするとき、
そうなるための時間や修練が必要ですが、
今この瞬間にあなたが優しくあるとき、
時間や努力は必要ありません。
優しさを洞察した瞬間に、行動は変わります。
そこになりゆく時間や努力は必要ありません。
優しさを閉め出している利己的な思考に注意を払い、
利己性が顔を出しそうになるときに気づくことができれば、
利己的な思考があなたの行動を決定することはありません。
つまりあなたの行為が利己性に染まることはありません。
あなたの行為に、優しさや思いやりが生まれます。
このとき、優しくなろうと努力しなくても
あなたは優しいのです。
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