自己改善は自我の拡大

2019/07/19

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[自己改善]とは何とも醜い言葉です。
 
自我が自己改善なるものをやって、自我を膨らましています。

どんなに素敵なスーツで自我を盛装しても、
自我は相変わらずそれが最初にあったときのままです。

自己愛・自己否定・自己受容についての記事でも触れましたが、
自己改善も同じでこれらの行為の中心には
〈わたし〉がいつも動き回っています。


関連記事:自己愛の虚偽
     自己受容は自己否定と同じ穴のムジナ




これまで調べてきた通り、行為の中心にいる〈わたし〉は
思考そのものです。

〈わたし〉 を構成しているのは、経験、知識、感情、知覚、
信念、理想、意見、偏見、価値観、野心、欲望、願望、執着
などの意識全体で、思考に深く関わっています。

私たちは思考が押し付けた受け売りの情報に、
忠実に従って行動します。

「自分を愛さなきゃ誰も愛せない」という受け売り ...
「自我は醜いものだから自我を否定すべきだ」という受け売り ...
 いやいや「自己を受け入れなければダメだ」という受け売り ...

「自己を改善せよ」 という受け売りの情報に従って、
 私たちは行動します。


関連記事:私・自己・自我・セルフとは何か?





私たちはこのように受け売りの情報を自分自身に押し付けて
せっせと自我をこねくり回しているのですが、
こねくり回しているのは一体誰でしょう?

自己を愛したり受け入れたり否定したり改善しているのは、
自我ではありませんか?

私たちは感情を抑制するように、教えられてきました。

超越するように、教えられてきました。

まるで自分の抱いている感情を抑制できる存在が
私たちの内部に存在するかのように ....

だから自己愛・自己改善・自己否定・自己受容という言葉の意味を
深く問いただすことなく、容易に受け入れるのです。

しかし実際、内部に二元性は存在しません。

二元性があるときにだけ受容・否定し抑制し
改善する存在がいるのです。


関連記事:内部の非二元性についての対話




二元性が存在しない以上、自己を愛したり改善したり
受容・否定することはできません。

あなたは例えるなら、跳ねているゴムまりです。

跳ねているあなた自身が、あなたを抱きしめたり
蹴飛ばしたりすることはできないでしょう?

改善しようとするとき、跳ねている自分を
どうにかして止めようとしているのです。

不可能なのにできると思い込んで止めようとしているのです。






〈わたし〉が、自分自身に手を加えることはできないと
理解するとき、中心である〈わたし〉の動きは止まります。

このとき、奔走する〈わたし〉の動きはありません。

これまで怒りや憎しみを抱いた自分を否定したり受け入れたり、
その感情を抑えこんだり逃避したり超越することに忙しかった
〈わたし〉ができることなど何ひとつないことを洞察すると、
〈わたし〉は止みます。

あなたの中心にいつもいる〈わたし〉のが止むと、
怒りや憎しみは消滅します。

というのも怒りや憎しみを抱いていた〈わたし〉が、
不在だからです。




自己とはこのように、自己の構造を理解することで止みます。

それは抑制、改善、否定・受容され得るものではありません。

ですからご自分の内部を、よく観察してください。

自己改善、自己受容、自己否定するとき、
誰がそうしているかを突き止めるのです。


関連記事:自己理解は自己観察によって生まれる




自分の暗部を否定したり抑え込んだり正当化したり
愛そうとすることが、自己改善、自己受容、自己否定、
自己愛の本質です。

力で抑え込んだり、抜け目ない思考が考え出した
自己受容や自己愛を実践しても、
内面を歪みなく観察しないかぎり変容することはありません。

あなたに甘い言葉で囁きかけ、叱咤激励する声こそが思考です。

思考の指示どおりに奔走するかぎり、
内面が変容することはありません。

思考に翻弄されているかぎり、あなたは思考そのものであり
それがいつもそうであるように断片的なのです。



思考を観察することはあなたという全存在を観察することであり、
そうすることであなたの全存在は観察の光に照らされ
暗部はもはや暗部でいることはできずになくなるのです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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