親しい友のように
対立し合うのではなく
意見を戦わせるのでもない
構えることなく、自分の困難について
語り合うことで自分自身を相手に
さらけ出し互いに指摘し合って
助け合う..そんな対話を読者の皆様と
しているつもりでブログを綴っています
良い関係を築いている二人の友が
語り合うようにあなたとわたしは
様々な事柄について語り合ってきましたし
これからも語り合っていきます
※同じものを見て共に考え協力し合って働く
これまで感情や思考について
気づきや観察の大切さなど
多くのことを話し合ってきましたが
それらの言葉や説明、描写は
語られていることとは違います
木という言葉は木そのものとは異なるように
言葉や説明は私たちが語り合っているものを
描写することはできますがそのものとは
異なります
愛や真理についての説明は
「愛」「真理」ではありません
川の流れの音を聴くことができますが
その音は川ではありません
だから言葉だけを重視しないように
気をつけましょう
生の事柄について語り合うとき
私たちは言葉だけで理解した気に
なりますが言葉の奥にあるものを
感じ取るためには相手が何を
伝えようとしているのか知りたい
という情熱がなければ無理です
※情熱について
相手の言葉一つ一つに表面的に反応し
反論したり賛同するのではなく
お互いの言葉の奥深くにある
意義を理解することなく
二人の友がコミュニケーションを
とることはできません
ですから自分の思考に注意を払いましょう
というのは話を聴いている間
あなたの思考は相手の話を
肯定したり批判したりと
傾聴の邪魔をしてくるからです
思考が活発だとその騒音がうるさくて
相手の話を聴くことはできません
※聴くということ
相手を歪みなく観察するには
いかなるバイアスもあってはなりません
「また同じ話だ」と思いながら
聞いているならあなたは
目の前の相手にきちんと
向き合えてはいません
あなたは彼が以前話したことを
頭の中から引っ張り出して
それを聞いているだけで
目の前の相手の話に耳を
聴けてはいないのです
また..
「今の生活を失いたくない」と思っていれば
それを揺るがす可能性のある話には
耳を傾けることはできません
世界で起こっている
悲惨な出来事について語る人
あなたの皮相な人生を
指摘する人の話にあえて
耳を傾けようとはしません
このようにバイアスを取り除かないかぎり
人は見たいもの、聴きたいこと、信じたいこと
以外は排除し、制限された中で生きる
ことになるので全体的な生の美しさに
出会うことはないのです
相手を本当に理解したいなら..
自分の生を本当に理解したいのなら..
理解を阻むものを取り除かなければなりません
ですから経験や知識に基づく考えや信念
結論や偏見、志向をすべて
手放しましょう
物事を好き嫌いや快・不快で
判断するのは止めましょう
自分がこしらえたイメージで
相手を見るのは止めましょう
現実を都合のいいように解釈するのを
やめるのです
こうして心が無防備になるとき
意見や信念で覆われていない
無邪気さ・天真爛漫さが顔を出します
こうしてようやく相手のことを歪みなく
見て話を聴くことができます
ありのままの相手
そしてありのままの現実を
理解することができます
理想や観念に逃避しながら生きる
限定された人生ではなく
事実をありのままに見る
誠実さをもって生きましょう
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