何かを問うとき、私たちはその答えを求めています。
誰かが答えてくれるのを待っている精神は、
明瞭ではなく新たなものを発見することはできません。
何かを問うとき、私たちはなぜ問うのかについても
理解しなければなりません。
あらゆることについて、人は問うてみるべきだと
筆者は感じていますが、なぜ問うているのかを理解することは、
答えを見いだすことより遥かに重要です。
- その問いの背後に何があるのか?
- 問うている際の、精神状態はどんなであるか?
どのように行動すべきか誰かに言って欲しいのか?
答えを期待しているなら[誰]が答えるのですか?
またそれが誰であっても彼の答えが正しいかどうか、
どうしてわかるのでしょう?
誰かが答えてくれるのを待っている精神、
外側に答えを求める精神、権威を受け入れる精神は、
決して活発な精神ではありません。
そのような精神は鈍重です。
このように私たちが問うとき、
自分自身の内面を観察することが大切です。
- どうして問うているのか?
- 何がそうさせるのか?
- 問いの背後に恐怖や欲望という動機がないか?
このように内面を注意深く観察する精神は、非常に鋭敏です。
あらゆることに対して、敏感で繊細で目覚めています。
このように鋭利な精神が、
複雑な問題で絡み合った糸を紐解くことができるのです。
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