問う精神を観察する

2019/07/02

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何かを問うとき、私たちはその答えを求めています。
誰かが答えてくれるのを待っている精神は、
明瞭ではなく新たなものを発見することはできません。

何かを問うとき、私たちはなぜ問うのかについても
理解しなければなりません。

あらゆることについて、人は問うてみるべきだと
筆者は感じていますが、なぜ問うているのかを理解することは、
答えを見いだすことより遥かに重要です。


  • その問いの背後に何があるのか?
苦しみから逃れたいという気持ち・欲望があるのか?

  • 問うている際の、精神状態はどんなであるか?
答えを待っているのか?
    どのように行動すべきか誰かに言って欲しいのか?




答えを期待しているなら[誰]が答えるのですか?
またそれが誰であっても彼の答えが正しいかどうか、
どうしてわかるのでしょう?

誰かが答えてくれるのを待っている精神、
外側に答えを求める精神、権威を受け入れる精神は、
決して活発な精神ではありません。

そのような精神は鈍重です。




このように私たちが問うとき、
自分自身の内面を観察することが大切です。

  • どうして問うているのか?
  • 何がそうさせるのか?
  • 問いの背後に恐怖や欲望という動機がないか?


このように内面を注意深く観察する精神は、非常に鋭敏です。
あらゆることに対して、敏感で繊細で目覚めています。

このように鋭利な精神が、
複雑な問題で絡み合った糸を紐解くことができるのです。





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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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