前回、プライドとスポーツについて触れましたが、
今回はスポーツに関してもう少し書いてみたいと思います。
前回の記事:プライドと謙虚さは共存しない
個人的には、誰かが身体を動かしているのを観るよりも
自分の身体を気持ち良く動かしていたいと思いますが、
スポーツを観戦している人を見るといつも疑問に
思うことがあります。
「なぜ一方を応援するのか?」
「そのチームが負けると、なぜ気分を害するのか?」
特定のスポーツが好きで観ているのであれば、
そのスポーツを心行くまで楽しめばいいと思うのですが、
なぜ一方を応援するのでしょう?
どちらかを応援することで、スリルを味わうためでしょうか?
自分が競争している気分になれるからでしょうか?
同じ選手やチームを応援すると、一体感を感じるからでしょうか?
もし応援するチーム・スポーツ選手をもつことで、
スリルや競争の醍醐味を味わっているのであれば、
前回の記事でも触れましたように
あなたの内面に攻撃性や暴力性、競争心が
隠れているということではありませんか?
オリンピックだけに関わらず、
スポーツ観戦に来られた方がテレビに映ることがありますが、
顔に国旗や応援するチームのイメージやシンボルを描いたり
Tシャツを着ているのを見ると、
国家主義者が国家と一体化しているように
チームや選手、応援する国と一体化しているように
感じるのは筆者だけでしょうか?
これからスポーツを観る機会が多くなると思いますので、
スポーツを観るときのご自身の反応に注意を払ってみてください。
「そんなことに注意を払っていたら楽しめないよ」
という声が聞こえてきそうですが、日常生活における自分の反応
すべてに気づいていること、自分がどのように行動し
反応しているかに気づいていることは、
無意識に条件付けの通りに生きることを避けるためには、
大切なことではありませんか?
ご自身の反応を観察することで、
あなた自身の内面について多くのことを学ぶことができます。
哲学書や宗教書ではなく、
自己観察があなたの内面を明らかにするのです。
話は変わりますが多くの球技場、練習場がごく少数の
スポーツエリート達だけに限定されていますが、
誰もが自由に身体をのびのびと動かせる場所を
つくることの方が大事ではありませんか?
あらゆる人に開放された場所があれば、
好きなように身体を動かせる機会があれば、
テレビの前で自らの身体を動かすことなく
スポーツ観戦するよりもずっと気持ちも体もスッキリする
のではないか、などと感じるこの頃です。
関連記事
自己理解は自己観察によって生まれる
誠実に生きるために不可欠な自己理解
0 件のコメント:
コメントを投稿