共に考え協力し合って働くことは大切です。
しかし私たちはありとあらゆることについて
独自の意見を持っているので意見同士がぶつかって、
一緒に考えることは殆ど不可能です。
意見を手放さないかぎり、
共に考え協力し合うことはできません。
そして各々が自分の利益に基づいて行動するかぎり、
必ず衝突してしまいます。
関連記事:意見をもたない理由:意見は分離・衝突・対立を生む
同じ方向を向いて進む
各々が意見・利己心を脇に置く、つまり各々の中心に鎮座する
「わたし」を取払って全体的に行動することが大切です。
その時にのみ私たちはぶつかることなく
同じ熱意、同じ立場で同じ方向を向いて進むことができます。
そのとき私たちは、一緒に考え協力し合って働くことができます。
このように協力し合えたなら、恐れるものはありません。
私たちにできないことは、ありません。
どんな圧力にもひるむことはありません。
なぜなら誰一人として、
私たちの情熱を買収できないからです
動機・野望によって行動しない人を
搾取することは誰にもできません
願望や恐れを抱いている人だけが、搾取され買収されます。
このように他者と協力し合えることは非常に稀です。
あなたが全体的に行動したとしても、
他の人がそうしないなら、
互いに協力し合って働くことはできません。
それぞれが自分の意見、利己心、野望、信念、理想
といった小さな世界を大事に守っているかぎり
共に考えて協力し合うことはできないのです
これらを手放さずして寛大になろうとしたり、
他者と協力しながら動く努力をしても、
あなたの行為は必然的に分離や衝突、対立を生みます。
個人という限定された断片から生まれる行為は、
必ず分離・衝突を生みますが、
全体から生まれる行為はそれ自体に秩序があるので
ぶつかることはありません。
分離・衝突を生まない行動を探究する人は
思考を手放さなければなりません。
あなたの中心である「わたし」を構成するものを、
ひとつひとつ調べてみなければなりません。
自己を解体したとき
あなたは全体的で秩序ある行為をとることができるのです
関連記事:私・自己・セルフ・自我の正体
自己・自我が止むとき美は現れる
内面を歪みなく見つめる誠実さをもっていますか?
全体的な行動をとるために努力・鍛錬・苦行は必要ありません。
僧侶や聖職者になる必要はありません。
必要なのは、自らの内部を観察する誠実さです。
内部にあるものを批判や正当化することなく、
そのまま見つめることのできる誠実さです。
正直でなければ、見たくないものを敢えて見ようとはしません。
醜いものを、じっくり調べようとしません。
気づかないフリをして存在を否定し、
自らを欺くこともできます。
私たちは快を求め不快なものから離れようとします。
ですから内部を歪みなく観察するには、
不快なものでもありのままを見つめる誠実さが必要なのです。
関連記事:理想を捨てると誠実さ・正直さは花開く
誠実さ・情熱の炎が、混乱だらけの内部を焼き尽くします。
このようにして、内部は一掃されます。
するとどのような行為をとろうと、
秩序から外れることはありません。
あなたの行為は特定の方向に向かうという
限定されたものではなく
全方向に放たれた全体的な行為なので
宇宙の摂理のようにそれ自体に秩序があります
関連記事:エゴを落とすと誰とも対立・衝突しない行為がとれる
もう一度言います。
あなたとわたしを隔てているのは、
それぞれの意見や経験、知識、理想や野心 etcです。
これらがあなたとわたしを分離しています。
これを手放さないから、私たちは対立・衝突するのです。
私たちがこれらを一掃すると、
わたしとあなたに、外見以上の違いはありません
わたしとあなたを隔てるものが消える
知識や経験、意見や理想、野心という様々の色が
全て消えると、私たちは透明になります。
外見は違いますし異なる名前をもっていますが、
中身はどちらも透明です。
内部を一掃したときにはじめて
わたしとあなたは協力しあうことができます
同じ方向を向いて、進むことができます。
動機や願望や意図なしに、
全体的行為を共にとることができます。
物事の真偽を見抜き、即座に理解することができます。
偏見や知識に左右されないとき、
私たちは同じものを見て理解することができます。
ほんとうに関わることができるのです。
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