質問者:心理的な知識が理解を阻むということは、
ブログを通して頭では理解したつもりですが、
実生活に生かせていません。
苦手な人と接するときは今でも、
自分がもっている相手のイメージが座して、
動かないのがわかるし、
それがバリアになって相手を理解するどころか
もっと嫌いになっています。
筆者 :心理的な知識を蓄積することの危険を
見て行きましょう。
自分自身を理解するためには、
知識から自由でなければなりません。
質問者:でもあなたは自己理解の、
必要性・緊急性について
以前話されませんでしたか?
筆者 :はい、自己理解は必要ですが、
自己理解は知識を蓄えることではありません。
自分についての知識を蓄えることは、
必要でしょうか?
人はいつも同じではありません。
あなたは昨日のあなたではありません。
昨日のあなたを理解したからといって、
今日のあなたを理解しなくてよい、
というわけではないのです。
自己理解とは刻々に変わりゆく、
自分自身を理解することです。
刻々の理解を知識として、
積み上げることではありません。
生まれては消えていく感情を、
見つめることです。
他者に対する自分の反応を、
刻々と知ることです。
そのためには昨日の知識は必要ありません。
というか昨日の知識を携えていたら、
自分自身についても他者についても、
学ぶことはできません。
瞬間瞬間を観察することによって、
私たちは学ぶことができるのです。
※ 自己理解は自己観察によって生まれる
質問者:生きているものに対する、
完全な知識はないということですね。
筆者 :はい、その通りです。
自分についての意見やイメージ、
偏見をもっていては、
私は自分のことを歪みなく、
観察することはできません。
私の観察は偏見や意見、イメージの色に、
染まるからです。
心理学や哲学書の知識についても同様です。
誰かの知識に色付けられた観察が、
ありのままの物事を映し出すことはありません。
知識は物事をすぐ概念に変えてしまい、
人は概念から行動するようになります。
知識から行動するとは、
現在に過去を持ち越すということです。
人にヒドいことを言われると、
あなたは反射的にイラっとします。
このリアクションもまた、
あなたの過去の知識に基づいています。
知識が相手を「ひどい奴だ」と判断し、
あなたはそれに反応するのです。
心理的知識に基づいて行動するかぎり、
行動は過去のパターンから、
逃れられません。
過去のパターンは日々更新されますが
更新されたパターンもまた、
過去に基づいているのです。
つまり知識に基づいて行動するかぎり、
私たちはずっと過去に支配される、
というわけです。
質問者:どうしたら心理的知識から、
自由になれるのですか?
筆者 :どのようにしたらという質問自体が、
方法を求めており、
方法は知識に基づいているので、
あなたはまたもや方法を知識として得よう
と目論んでおり、それでは一向に知識から、
自由になることはできません。
質問者:瞑想法によっては、
思考から自由になれないのと同じですね。
※ 瞑想法を疑う、調べる:瞑想に方法は存在しない
筆者 :どのような願望・動機も、
知識の異なる側面であるので、
願望や動機から求めても
知識から自由になることはできません。
質問者:ではどうすればいいのですか?
あなたは私を動けなくしています。
過去に染まらない目で物事を観察しなければ、
私は過去を引きずって、
生きていくことになります。
現在にではなく、
過去に生きることになります
私には何もできないというのですか?
筆者 :そうではありません。
知識は巧妙に働くので騙されないように、
知識について慎重に、
調べていただきたいのです。
質問者:わかりました。
私は方法を尋ねません。
訊ねた瞬間、知識に取り込まれてしまうからです。
願望・動機自体が知識の別の姿だと理解したので、
心理的知識から自由になりたいという、
願望・動機を落としました。
筆者 :あなたの思考は、いま動揺しています。
思考は忙しく動くことで、
生きることができるわけですが、
あなたにその正体を悟られると、
自由に動けなくなってしまうため、
思考は恐れているのです。
あなたが思考の構造に気づきさえしなければ、
思考はこれまで通り自由奔放に、
動くことができるからです。
しかし思考が自由を阻むことに気づいたあなたは、
以前のように思考の言いなりにはなりません。
あなたは思考の動きに非常に敏感です。
質問者:さっき私がイラっとしたのはそういうことですね。
どうしたらいいのかわからず、
あなたに当たりましたが
それこそが思考の叫びだったわけですね。
筆者 :思考はこれまでのように自由には動けません。
動いているうちは物事を観察できないし、
理解がないことが、今のあなたには、
わかるからです。
思考は静止します。
このときあなたは苦手な相手を、
ありのままに観察することができます。
なぜなら思考が静かだからです。
私が話していることも、
あなたは思考を挟まずに聴いて、
理解することができます。
質問者:しかしそれは束の間で、
思考はすぐに戻ってきます。
筆者 :はい。しかしあなたは、
思考を静める方法を求めません。
質問者:方法は知識に基づいていること、
知識は過去に基づいていることを、
理解したので方法を求めません。
筆者 :思考の静止した状態を、
また味わいたいと願うこともありません。
質問者:はい、願望は知識の別の姿に、
他ならないですからね。
筆者 :あなたにできることは一つだけ!
あらゆることを注視することです。
苦手な相手の話に、あなたの全てを傾けます。
質問者:注視することで、思考は止むのですね。
思考が止むので過去の心理的記憶も止むのですね?
だから記憶というフィルターなしに、
ありのままに見ることができると....
筆者 :はい。注視しているときあなたの中心の、
「わたし」は消えます。
相手の話を注視するとき「わたし」は止みます。
壮大な山を前にしたとき、
あなたの中心の「わたし」は消えますよね?
このとき一瞬ですが、
あなたは悩みから解放されます。
強烈な美しさが、
「あなた」を吸い取るからです。
息をのむような美しさに出会うと、
あなたの自我・中心は消えます。
落ち着きのない子供にオモチャを与えると、
子供が驚くほど静かになるのは、
オモチャが彼の落ち着きのなさを、
吸い取るからです。
ですから相手が何を話していても、
内容はあまり問題ではないのです。w
相手の話をあなたの全部で聴くことが、重要です。
その全的な気づきにより、
思考は止みます。
こうしてあなたが人や物事を、
理解するのを妨げていた心理的記憶を、
あなたは落とすことができまです。
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