注視することで物事を同じように見る・聴く

2019/06/07

気づき 観察 思考 理解 洞察 事実

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同じものを見ていても、同じようには見ていない。
同じものを聴いても、同じようには聴いていない。



私たちが違う見方をするのは、
異なる背景を通して見ているからです


背景は育った環境や両親の影響、受けた教育によって違います。
これまで蓄積してきた知識や経験によって、異なります。
影響を受けた人や書物、思想によって異なります。

この背景が、私たちの信念を作り上げます。
この背景が、理想や人生の目標、価値観を形成します。

背景が「私」という一個人を、作り上げるのです。




私たちが最も信頼しているのは自分の意見や感じ方です


私たちが信頼しているのは、背景です。
思考は、この背景の運動です。

人によってガラリと変わる背景を、
私たちは信じて疑わないのです。

誰かと議論する際、
私たちは自分の意見に自信を思っています。

あなたが判断するとき、判断するのはあなたの思考です。
判断するのはあなたの背景です。




人によって異なり更新され続ける背景に、
完全な背景などというものはありません


つまり思考は、どんなに崇高でも不完全なのです。

不完全な思考で、相手を理解しようとしても無理です。

不完全な思考で相手の話を聴いても、
相手の真意をくみとることはできません。

知識や経験の総称である思考は、
機械を相手にする場合は役立ちます。

科学やコンピューターの研究、車の運転などには役立ちます。

本を読んだり、コミュニケーションをとったりする場合
には必要です。

しかし相手が生きものである場合、
思考は対象物の理解を妨げます。

※思考は、知識・記憶・願望・信念・理想・感情を含む


関連記事:知識の正体:いつも不完全で偏りのある知識




背景で相手を理解しようとするかぎり、
あなたは自分の望むように見ます。

好意をもつ相手であれば、相手の良い面は拡張されます。

嫌いな相手なら、あなたの判断は正しいことを裏付ける
相手の悪い箇所を拡大して見ます

つまり背景を通して見ているかぎり、
あなたは信じたいものを信じ、見たいように見るのです。

これは歪んだ観察であり、
対象物の本質を理解することはできません。

思考に色付けられているものは、事実ではありません。

背景を手放さなければ、
相手の話を聴くことなどできません。

背景で整理して相手のことをわかった気になりますが、
その理解は常にあなた色の染まります。


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では背景を手放して聴くと、どうなるでしょう?


あなたと相手のあいだにフィルターがないので、
相手の話は背景に歪められずにダイレクトに届きます。

話していることの本当と噓が、即座にわかります。

その理解は知識から来るものではありません。




頭の中が空っぽのとき、相手の話はダイレクトに届きます。


しかし殆どの場合、相手の話とそれを咀嚼するまでの間に
時間が存在します。

相手の言葉一つ一つが、ダイレクトに届くことはありません。

まずは相手の話があり、その後あなたは自分の知識を総動員して
相手を理解しようとします。

この際、相手の話とあなたの理解にはインターバルがあります。

このインターバルが背景です

このインターバルが思考の動きです。

このインターバルが知識の活動です。

ですから思考が及ばない領域まで、
相手を理解することはできません。

理解は常に、あなたの思考が理解可能なことに限られます。




背景を取り払ってくれる唯一のものが、注視です


注視とは、、、

あなたの存在全てで、相手の言葉を聴きます。
あなたの存在全てで、相手を見つめます。
あなたの存在全てで、相手と向き合います。

完全なる注視が思考をストップします

そして思考が止んだとき、
あなたは相手の話を即座に理解します。

そこに時間の介入はありません。


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     気づき・アテンション




完全なる注視で、全てのことを向き合います。


政治家の話
専門家の話
宗教家・グルの話
自称悟ったという人の話
聖者と崇められている人の話
いわゆる成功者として一目置かれる人の話
友だちの話
自然・動物
ニュース
あなたの感情
etc.




あなたの存在すべてで、これらを注視します。

そのときあなたは相手の本当と噓を、即座に洞察します。

またあなたの内面も理解します。

これこそ、純粋な観察であり純粋に聴くということなのです

そしてこれが、日々瞑想するということです。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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