A 人は傷つけないで生きていくことは不可能ですよ。
私 本当にそうでしょうか?
結論に至るのではなくてこのことを、
あなたとわたしで調べてみませんか?
他者を傷つけずに生きていくことはできないのか、
一緒に調べてみましょう。
A 『人を傷つけずに生きる』をモットーにする人は、
人を傷つけずに生きることができない人を、
傷つけていませんか?
人を傷つけざる得ない人は、
自分に罪悪感を感じてしまうだろうから。
私 まず最初にどんなことであれモットーにすることは
不要ではありませんか?
モットーにするということは、
何らかの概念に従って生きることであり、
概念と自分との間に、必ずズレが生じます。
事実と概念が異なるように、
モットーとそれをもつ私にはズレがあります。
ですから仰るようにモットーにする人は、
モットーにしない人と分離してしまい、
ぶつかる可能性は高いでしょう。
どのような概念でもひとたび概念をもつと、
別の概念をもつ人との間に分離が生じて、
ぶつかる可能性が高くなるので、
モットー(指針・目標・方針)をもつことは、
危険ではありませんか?
A では言い方を変えましょう。
人を傷つけずに生きる人は、
人を傷つけている人を傷つけていませんか?
人を傷つけざる得ない人は、
自分に罪悪感を感じてしまうだろうから。
私 本当にそうでしょうか?
あなたの問いを注視しましょう。
人を傷つけずに生きてゆけない人は、
自分が人を傷つけているという事実に対して
罪悪感を抱くのであって、
人を傷つけずに生きる人が、
彼 / 彼女を傷つけているのではありません。
A しかし人を傷つけないで生きる人がいなければ、
彼らは傷つかないわけです。
私 あなたが人を傷つけないで生きているとします。
私は、人を傷つけなければ生きられません。
あなたの存在によって私が傷つくならそれは、
私があなたと比べたことが原因であって、
あなたが私を傷つけたのではありません。
あなたはただ自分の花を咲かせているだけで、
私を傷つけているわけではありません。
私があなたという美しい花を見て劣等感を抱いたり、
自分の醜さを思い知るのであれば、
それは私がありのままの自分の姿に気づいたから、
あるがままの事実に気づいたからではありませんか?
ただ自分という花を咲かせているだけのあなたが、
私を傷つけていますか?
あなたという美しい花に出会ったことで、
私が自らの醜さに気づいたのであれば、
あなたを批判することに意識を向けるのではなく、
自分自身の醜い花に意識を向けるべきではありませんか?
どうして醜くなってしまったのかを、
調べてみるべきではありませんか?
ありのままの自分の姿を見つめて醜さを払拭すれば、
私も美しい花を咲かせることができるのではないですか?
あなたが私の花を咲かせることなど、できません。
あなたはあなたの咲かせる花に全責任があり、
私は私の咲かせる花に全責任があるのです。
関連記事
繊細なのに傷つかない精神
誠実さと利己性は共存できない
正しい生き方:不誠実さを取り除く
セルフイメージを落とすと傷つかない
癒えない心の傷を観察しそれから自由になる
0 件のコメント:
コメントを投稿