人から嫌われる恐怖・ものさし(評価)を捨てる

2020/01/27

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質問

嫌われることが怖くない人と嫌われるのが怖い人は
何が違うのでしょうか?


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嫌われることが怖くない人
→社会の価値観や常識、他人のものさしに左右されない人
 外側の声がただの雑音だと理解している人

嫌われるのが怖い人
→社会の価値観や常識、他人の評価に従う/依存する人
 外側の声が正しいかもと思い動揺してしまう人
つまり外部の権威が即自分の価値観である人


この差ではないでしょうか。




好み・評価はどれも偏っている



あなたが好きな人、嫌いな人、尊敬する人をよく観察すると、
自分の好みや評価に偏りがあることに気がつきませんか?

昔いじめられた人にどことなく雰囲気が似ていれば、
よく知らない人にも良くない印象を持っていたり、
スペックを重視視する人であれば、
スペック(外見・才能 etc)によって人を評価します。

このようにあなたの好きな人、嫌いな人だけでなく、
誰の評価もその評価は必ずその人色に染まるので、
どの評価も正確ではありません。

このようにいつも断片的な他者の意見に惑わされるなんて、
他者の評価をイチイチ気にするなんて、
バカらしくありませんか?





どのようなものさしも持たない



外側のものさし(他者の意見や評価)に頼れば、
あなたはいつも外の影響を受けることになりますし、
自分独自のものさし(信念や価値)に頼れば、
自己否定や自己肯定、自画自賛に明け暮れることになります。

つまりどのようなものさしであっても、
ものさしを持っているかぎり、
私たちはものさしの影響を受けてしまうのです。

自分自身の内面に深く潜ってみるとわかるように、
私たちは自身の狭い視野・価値観・好みによって、
自分自身そして他者を好き勝手に賞賛し批判します。

自分の評価がそうであるように、
他者の意見には必ず偏りがあることがわかると、
正確ではない他者の評価なんてど気にならなくなります。

人の評価にしても自分の他者に対する評価にしても、
あらゆる評価が個人特有の色に染まることを理解すると、
他者の評価に左右されなくなるのです。

だからあらゆるものさしが正確ではないことを、
理解することが大切です。

このことがわかればものさしを常備することもないし、
他者の評価や意見を耳にする際も、
彼らが独自or社会のものさしに囚われているとわかるので、
評価・意見を真に受けることはありません。





最後に



ただ誤解していただきたくないのは、
人に嫌われることが怖くないことと、
人に無関心なことは全然違います。

誰かを嫌うとき、私たちは相手を判断しているわけですが、
その判断や評価というものさしが、
正確ではないことがわかったから、
判断や評価に左右されることはないし、
嫌われることを恐れないのであって、
他人に興味がないからではありません。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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