自信はどこから湧いてくる? 自信と比較・価値観・傲慢さの関係

2020/01/19

思考 怒り 暴力 抑制 比較 分離 利己的な私

t f B! P L


殆どの自信は比較から生まれる


私たちがもっている殆どの自信や自信のなさは、
比較から生まれたものではありませんか?

この世に私しか存在しないとき、
比較する対象がないので、
私は自信をなくすことも、
反対に自信満々になることもありません。

誰かと比べて劣っていると思うから自信をなくし、
誰かと比べて優れていると思うから自信をもつのです。

花のように生きる


世界にわたし一人しかいなかったら、
自分のことをバカだと認識することはできません。

世界にウサインボルトしかいなかったら、
100メートルを9秒台で走れても、
彼にはそれが速いかどうか、
比較する対象がないのでわかりません。

このときには花が花として咲くように、
私はただ自分はこういうものだとして
ウサインボルトは彼としてただ生きるでしょう。

しかしそこにあなたが現れます。
すると私はあなたと比べて、
自分がバカだということを自覚します。

ひとりのときには植物のように
ありのままに伸び伸びと生きていられたので
劣等感や優越感、自信とは無縁でしたが
あなたと比べてしまったがために
私は自信を失ったり自信満々になったりするようになります

私たちは比べる相手によって自分をバカだとか天才だとか言って
落ち込んだり自信満々になったりして無駄に
アップダウンを繰り返しますがバカだろうと天才だろうと
ありのままにただ生きることはできないのでしょうか?

どんなにバカだとしても、
優秀な人が世界にどれだけいようとも、
人と比べずに生きることはできないのでしょうか?

というのも比較しないで生きることさえできれば
優越感や劣等感に悩まされることはなく
自信を失ったり自信満々になったりすることもないからです

外側の事柄に影響されずに生きることができる人ほど、
強い人はいません。

外(社会)に左右される自信


スポーツやお金を稼ぐことが得意だとしても、
そのような資質が奨励されない社会に生きていれば、
あなたがその資質に自信をもつことはないでしょう。

このように私たちがもつ殆どの自信や自信のなさは
社会の価値基準から発生します

高学歴の人、高収入の人、政治家や弁護士、医者、
いわゆる成功者と呼ばれる人達、知識人や有名人
お金持ちに共通するのはある種の傲慢さと
それを覆い隠す上品さという名の化粧です。

それは社会の価値基準によって生まれた傲慢さです

私たちが知っている自信は利己性の一部なのです

自分はその辺の人とは違うのだという自負が
彼らの振る舞いや話し方といったあらゆるものに滲み出るので
特異な雰囲気をまとっています。

ただ傲慢さや自尊心に染まることのない、
自信というものもあります。

これについては過去の記事(無垢な自信)で触れています

関連記事
人と比べることを手放す
比較・競争・模倣・服従は暴力
比較をやめるには比べることの危険を見ること
比較し競うことを手放し劣等感・攻撃性・嫉妬から自由になる

☆☆

相談を承っております

詳細はこちらをご覧ください
オンライン相談について

このブログを検索

アーカイブ

自己紹介

自分の写真
真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

問い合わせ

名前

メール *

メッセージ *

QooQ