内部に善と悪は共存するのか?

2019/11/13

気づき 観察 思考 実践 生きる 利己的な私

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問い:良い人であると同時に悪い人であることは可能か?




物事を正確に見ていますか?



ある人にとっては良い人なのに、
別の人にとって悪い人だというのは、
観察する私たちが自己本位で歪んでいるからです。

私たちの殆どの観察は、思考に左右されますが、
思考は自分の狭い体験に基づく知識が記憶として
脳に蓄積されたものの運動であるので、
それは非常に断片的で利己的です。

このように断片的な思考に左右された観察をしていては、
物事を部分的にしか見ることはできず、
全体的に観察することはできません。





全体的な観察とは....



全体的な観察とは、私たちの思考を作動させない観察
であり、思考のコメントを挟まない観察です。

ありのままの観察です。

そのものをありのままに歪みなく観察することが
全体的な観察です。

一方、主観的な観察は部分的で自己本位で、
正しい観察では決してありません。

部分的な観察をしているから、
私には良い人なのに、私の友達にとっては悪い人、
ということが起こり得るのです。





良い人が同時に悪い人であることがあり得るか?



良い人が同時に悪い人であることが可能なら、
善は悪の性質を、悪は善の性質を持っていることになります。

黒には白が、白には黒が混じっていることになります。

光は闇を、闇は光を内部に秘めていることになります。

このようなことがあり得ますか?

バラの種からはバラの花しか咲かないように、
悪の種からは悪が、善の種からは善の花が咲くのではありませんか?





特定の感情から生まれた行為は、その感情を内部に秘めている



自分を振った相手を見返すために、
綺麗になって/成功して
自分を振ったことを彼に後悔させてやる!

モテなかった学生時代に感じた嫉妬や恨み、復讐心が
自分の成功の原動力にする。

圧倒的な敗北感を、行動を起こすエネルギーに変換する。

このようなことをよく聞きますが....

復讐心や嫉妬、憎しみという種は、
あなたがどんなに成功しても、綺麗になったとしても、
復讐心・嫉妬・憎しみという花を咲かせるのです。




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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