問い:良い人であると同時に悪い人であることは可能か?
物事を正確に見ていますか?
ある人にとっては良い人なのに、
別の人にとって悪い人だというのは、
観察する私たちが自己本位で歪んでいるからです。
私たちの殆どの観察は、思考に左右されますが、
思考は自分の狭い体験に基づく知識が記憶として
脳に蓄積されたものの運動であるので、
それは非常に断片的で利己的です。
このように断片的な思考に左右された観察をしていては、
物事を部分的にしか見ることはできず、
全体的に観察することはできません。
全体的な観察とは....
全体的な観察とは、私たちの思考を作動させない観察
であり、思考のコメントを挟まない観察です。
ありのままの観察です。
そのものをありのままに歪みなく観察することが
全体的な観察です。
一方、主観的な観察は部分的で自己本位で、
正しい観察では決してありません。
部分的な観察をしているから、
私には良い人なのに、私の友達にとっては悪い人、
ということが起こり得るのです。
良い人が同時に悪い人であることがあり得るか?
良い人が同時に悪い人であることが可能なら、
善は悪の性質を、悪は善の性質を持っていることになります。
黒には白が、白には黒が混じっていることになります。
光は闇を、闇は光を内部に秘めていることになります。
このようなことがあり得ますか?
バラの種からはバラの花しか咲かないように、
悪の種からは悪が、善の種からは善の花が咲くのではありませんか?
特定の感情から生まれた行為は、その感情を内部に秘めている
自分を振った相手を見返すために、
綺麗になって/成功して
自分を振ったことを彼に後悔させてやる!
モテなかった学生時代に感じた嫉妬や恨み、復讐心が
自分の成功の原動力にする。
圧倒的な敗北感を、行動を起こすエネルギーに変換する。
このようなことをよく聞きますが....
復讐心や嫉妬、憎しみという種は、
あなたがどんなに成功しても、綺麗になったとしても、
復讐心・嫉妬・憎しみという花を咲かせるのです。
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