質問
心の平穏は何事にも無関心でいれば手に入るのでしょうか?
日々テレビで垂れ流されるあたりさわりのない芸能人達の言動、
SNSでは賞賛や批判や共感の大義のもとぶつかりあう言葉の応酬、
いっそのこと耳を塞いでしまえば楽に生きられると日々思います。
自分と向き合い孤独と友達になる、そして感情を飼いならす。
いつも心が不安定になりそうなとき、
そう自分に言い聞かせています。
このような考え方は間違っているのでしょうか?
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無関心であるということ
無関心でいれば心の平穏は手に入るだろうかと思う
気持ちはよくわかりますが無関心だということは、
あらゆる事柄に対して心を閉じている状態なので、
耳を塞いでしまいたくなるような騒音も入ってこないかわりに、
美しさに気づく繊細さ・敏感さを持ち合わせていないので、
生の美しさもシャットアウトしてしまいます。
窓を閉じることで騒音を遮断できますが、
新鮮な空気もシャットアウトしてしまうのです。
鋭敏であるということ
あらゆることを繊細に感じとれる鋭敏な精神は、
小さな攻撃や批判にも大きな攻撃と同じように敏感なので、
花のように脆くて壊れやすい精神ではありますが、
美しいものというのは概して、
壊れやすくて儚いものではないでしょうか?
そのように繊細で鋭敏な精神だけが、
生の美しさに十分に気づくことができるのではないでしょうか。
社会の残酷さや社会が賞賛する成功者たちの
傲慢さや貪欲さにも十分気づくことができますし、
社会では無価値な人間と見なされている人たちの中に
いるであろう真っ直ぐに生きている人の美しさにも、
鋭敏な精神は気づくことができます。
あらゆることに心を開いている精神だけが、
社会の価値観に踊らされることなく、
あらゆる物事の本質を見極めることが
できるのではないでしょうか。
鈍感であるということ
今のような冷たい社会に、
何の不満も危機感も感じないで生きている人は、
あなたのように心ない言葉に反応しないので、
楽なように見えるかもしれませんが、
彼らは始終眠っているようなものです。
彼らは皮膚が象のように厚く、
花びらのような繊細さを持ち合わせていないので、
何も感じ取ることはできないのです。
手袋をしていたら手にした物の感触がよくわからないように、
心も開いていなければ、繊細ではいられません。
不満であるということ
今住んでいるアパートに不満なら、
新しいアパートに引越せば不満は解消されます。
しかし私が家という全ての家に不満なら、
どんなに素敵なアパートに引っ越しても
不満の炎が消火されることはありません。
私の不満は外側の環境によって、
解消されることはありません。
同じように私が冷酷な社会全体に不満であるなら、
利己的で薄っぺらい人を見ても、
批判や賞賛、お世辞の応酬に遭遇しても、
それによって私の不満の炎が消えることも、
その炎が大きくなることもありません。
あらゆる美醜に感知しながらも、
不満の炎は消えることは決してありません。
私がもし心ない言葉に不安定になるのだとしたらそれは、
心のどこかで満足を求めているから、
何かあるいは誰かが不満を取り除いてくれはしないかと、
期待しているのに望み通りにならないからです。
不満を取り除けるかもしれないと期待するのは、
私が社会全体に不満ではないからです。
私は全ての家に不満なのではなく、
ある特定の家にのみ不満なので、
私の不満は外側の環境によって解消され得るものです。
このように外側の環境によって、不満が解消され得るとき、
私は外側の影響をもろに受けます。
つまり私は社会の醜さを目の当たりにして動揺したり、
酷く憤慨したりするのです。
どういうことかというと部分的に不満なときには
外部に影響されますが、全体的に不満なとき、
人は外側に影響されません。
あなたがどこへ行こうと見上げればいつも空があるように、
あなたの不満がこの社会全体にあるとき、
社会によってあなたが心を乱されることはありませんし、
空のないところを探し求めて彷徨う人がいないように、
不満を取り除こうとあなたが彷徨うことはありません。
心の平穏とはこのように、
外部の影響を受けない心の状態ではないでしょうか。
心の平穏
心の平穏は手に入れようとして得られるものではなく、
人や物、自然や動物との関係において、
自分の心がどのように反応しているのかを注意深く観察し、
社会に見てとる残虐性や攻撃性、自己中心性が、
自分の内部に巣くってはいないかを徹底的に調べ、
それに染まらずに生きるとき、
観察の炎でそれを焼き尽くしながら生きるときに、
心は穏やかになるのではないでしょうか。
社会に蔓延しているものから離れて生きるので、
ちょっぴり孤独ではあるかもしれませんが、
黒に染まらずに誠実に生きるには、
社会の大きな流れから独り離れて立つことは
必要なことではないかと思います。
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