利己性が人間関係を破壊する
利己性から自由でなければ、私たちは必ず人とぶつかります。
私たちは恋人・友達・両親・子供といつか衝突します。
利己性から自由でなければ、
私たちは本当の愛情や優しさを知ることはできませんし、
本当に交わることはできません。
ですので利己性から自由になれる筈がないと匙を投げるのではなく、
利己性が人間関係の衝突の原因だということを理解して、
あなたの利己性を真剣に調べましょう。
あなたの家が燃えていたら、瞬時の行動をとるでしょう?
同じように利己性があらゆる争いの原因だという事実をみて、
緊急事態に適切に対処しましょう。
私たちの行為はいつも利己的です
恋人同士についてのある方との対話をシェアします。
A: 一人でいると淋しいから二人を求めるのに、
二人でいると諍い(憎み合い)を始める。
人間は不可解な生き物ですね。
私: 寂しいという利己的な願望から相手を求めるから、
いろんな状況で利己的な願望同士がぶつかり
諍いが起こるのではありませんか?
A: そうだと思いますが、完全に自己充足しているなら、
敢えて他者を求めなくていいということになると思うので、
そうなるとそれはもう聖者の領域だと思うし、
そういう聖者でないからこそ、
互いに求め合うのではないですか、人は。
私: 不足感を感じていなくても誰かを愛することはできますし、
生活を共にすることはできるのではないでしょうか?
求めなくとも、交わり関わり合うことに喜びを感じることは
聖者ではない私たちにもできるのではありませんか?
A: そういうことになれば、そこは天国ということになるのでは
ないでしょうか。
肉体と煩悩を持った人間同士が、
完全にそのようなコミニュティーを作れるものなのかどうか、
私には分かりません。
私: そうでしょうか?
利害関係のない友達関係はありませんか?
交流する喜びから生まれる人間関係は、
天国でなくとも今ここで築くことはできませんか?
そのような友達関係を築けたなら、
恋人とそのような関係を築くことも可能ではありませんか?
損得や利害のない関係は、
天国でなくても生きている間に、
築くことができるのではありませんか?
A: 人間は我知らずの間に、相手に期待してしまうこともあります。
そしてその期待に相手が応じてくれないとき、
一瞬ムッとしたりするのも煩悩のなせる技だと思います。
こういうことはもっとも信頼関係が濃いはずの
親子の間でさえあります。
私: そのムッとした瞬間に、
私たちは自分の利己性に気づくことができます。
この瞬間に気づけば、諍いに発展することはありません。
「煩悩だから、聖者ではないから」と結論に至るのではなく、
利己性が顔を出しようになるときに気づくことができれば、
利己性が私たちの行動を決定することはありません。
それでもそのような反応が人として当前だというのであれば、
利己性から誰かを求めてその同じ利己性から諍いが起こるのは
不可解では全くなく当然だと思います。
A: その通りですね、勉強になりました。
ありがとうございました。
探究する際にはまず、結論を捨てなければなりません。
ここから始めないと、新たなことを見出すことはできません。
なぜなら結論をもったまま見出す答えは必ず、
結論の色に染まってしまうからです。
ですからあなたが仲間と探究するときはまず、
お互いが結論や意見でガチガチに固まっていないか調べましょう。
そしてそれを先ず最初に手放しましょう。
そうして探究し初めても、
意見や偏見で物を言っていることに気づいたときには
互いに指摘し合いながら慎重に探究を進めていかなければなりません。
人間関係はあなた一人では成立しません。
この対話で伝えきれなかったことですが、
利害や損得のない関係を築くためには、あなた一人では無理です。
関係を築くためには、相手が必要です。
ですからあなただけではなく相手も、
利己性をもつことの危険に気づかなければなりません。
互いが自らの利己性に敏感でなければ、真の関係は築けません。
ですから深く関わりたい人がいるなら、
一緒に暮らそうと考えている人がいるなら、
相手と利己性について話し合い、理解を深めましょう。
そして利己性があらゆる争いの原因だという事実をみて、
緊急に対処しましょう。
そのように互いが理解できたなら、
あなたと彼/彼女は描写し難い交わりを味わうことでしょう。
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