質問:悲しみを避けると喜びも遠ざかりますか?
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悲しみを避けるというのは、
悲しみをもたらす可能性のあるものを避けることです。
つまり悲しみを避けたいという気持ちの背後に、
できるだけ楽しい気分でいたいという願望があります。
楽しさと悲しみはコインの裏表です。
一方を求めれば他方はもれなく付いてきます。
喜びや楽しさを求めていたら、
望み通りに手に入らないときには、
ひどく落ち込んで悲しみを感じることになります。
あなたは楽しみを求めて、
悲しみを追い出そうとしていますがそれは不可能です。
あることに心を開き、
あることに心を閉じることなどできますか?
あなたが心を開いているなら、開けっ広げなら、
心はいつも危険と隣り合わせになりますが、
美しさや優しさ、喜びとも隣り合わせです。
喜びだけに繊細な精神は、全く繊細ではありません。
もしあなたが喜びだけに敏感だというのなら、
あなたは決して敏感ではありません。
敏感で繊細な精神は、
美しさと同じように醜いものにも敏感だからです。
あることに開いていて、
別のことに閉じておくことはできません。
窓を開けていたら風も埃も騒音も入ってくるように、
心の窓を開けていたら、鳥の鳴き声も隣のテレビの音も入ってきます。
風だけを招き入れて、騒音を閉め出すことは不可能です。
心地よいものだけを招き入れて、
それ以外を閉め出すことなどできないのです。
開いていればあらゆるものが入ってきますが、
閉じていれば、あらゆるものを閉め出してしまいます。
あなたが悲しみを避けようと心を閉ざすなら、
喜びを感じる機会も一緒に失うのです。
あらゆることに開いている精神は、
花びらのように敏感で繊細で壊れやすく傷つきやすいのです。
宝石や花々のように美しいものは、繊細で脆いものです。
あらゆることにオープンな精神は、
生の美しさにとても敏感に反応しますが、
この世の不条理にも同じようにとても敏感に反応します。
彼 / 彼女は心の窓を全開しているので、
生の美しさや醜さ、人の貪欲さや攻撃性、優しさに出会います。
憂鬱になりたくないからと心の窓を閉じると、
全てを閉め出してしまうことになるので、
私たちの心は分厚く固く冷たく鈍くなり、
人生から喜びや美しさが消えてなくなります。
生の精妙な美しさを感じ得る繊細さを持ち合わせていないので、
喜びをもたらすものに気づくこともできず、
喜びを感じることはできません。
ですから質問の答えはこうです。
悲しみを避けると喜びも遠ざかります。
一つを閉め出すということは、
全てを閉め出すことだからです。
「恋人でも友達でも親子でも、別れは必ず来るから、
そのときに悲しまなくてすむよう、傷つかなくてすむよう、
誰とも深くは関わらない、誰にも心を開かない」
このように誰とも関わらずに生きることはできますが、
関わることで得られる喜び・楽しみ・大笑いも、
心から理解し合える友と出会うチャンスも
悲しみと一緒にあなたから遠ざかるのです。
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