自己・自我は愛さない、愛せない

2019/09/10

愛 真理 自由 秩序 気づき 観察 利己的な私

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自己はどこまでも自己本位



愛が条件のないものだとすると、
自己は誰も愛せないし、
愛を知ることもできません。

自己にできることは一つ、
 それは自分のことを考えることです。

自己は相手のことより、
自分の快感や満足感、感情を優先します。

【自己】は性質上、自己本位です。

自己は自分のことを守ってくれる人、
大事にしてくれる人、
優しくしてくれる人に対して、
好意を持ちます。

【自己】はいつも自分が一番大切です。





自己が判断・評価・批判する



自己は常に相手をジャッジします。

相手の言動に、
常に目を光らせています。

  • 自分にいつも優しいか
  • どんな時も守ってくれるか
  • 悲しませたり傷つけたりしないか
  • 自分らしくいさせてくれる相手かどうか
  • 楽しく過ごせる相手かどうか
  • 安心を抱かせてくれる経済力があるか
  • 望みを叶えてくれるか
  • 家族や友達に紹介できる相手かどうか
  • 孤独や寂しさを忘れさせてくれるか
  • 価値観や意見が合うか





自己はいつも利己的



自己が行う行為はいつも、
自分の損得や快不快に基づきます。

得になること、快をくれる人に
自己は好意を抱きますが、
これをもし愛というのなら、
愛とは市場取引のようなものです。

好きなブランドの服や、
好きな食事を摂ることと何ら変わりません。





部分は部分と必ず対立する



自分にとって得であること、
快であることが優先されると、
行為は自己に限定されるので、
他者の限定された行為とぶつかります。

恋人同士が喧嘩するのもこの為です。

各々が各々の願望を優先して、
行動するから相手と衝突します。

私たちはこれを愛と呼びますが、
その中身を詳細に調べると、
その想いがいかに自分勝手なものかわかります。





恋愛において自己が消滅するとき



しかしこのような関係においても、
互いの自己が消滅するときがあります。

好きになり始めの頃には、
このような瞬間は頻繁にやってきます。

自分のことを全く考えない瞬間です。

【自己】が消える瞬間です。

大好きな人の話を熱心に聞いているとき、
あなたの自己は消えませんか?

恋人の話にすっかり夢中になり、
自分のことなど少しも考えていません。

自己が消えるときはいつだって、
人は利己的ではありません。





自己が止むとき



自己が止むとき、
私たちは利己性から解放されます。

よって行動も自己本位ではありません。

利己的ではない行為というのは、
限定されない行為です。

限定されない行為とは、全体的な行為です。

利己性そのものである、
自己に限定されない行為とは、
利己性から自由な行為です。

自己が止むとき、
私たちは利己性に染まらない、
全体的な行為をとることができます。





愛=自己の不在



自己が不在のときにようやく、
愛は存在できるのではありませんか?

自分のことをすっかり忘れて為される行為に、
人は愛や優しさ、思いやりを、
感じるのではないですか?

損得や快不快に引っぱられない行為が、
愛ではないですか?





気づきがあなたに正しい行為を促す



誠実でいることは、簡単ではありません。

自分がどんなに利己的かを歪みなく見て、
それを認めるのは、簡単ではありません。

これは誠実な人だけができることです。

思考が醜い感情をどんなに正当化しようと、
誠実な人はその感情から逃しません。

心の中にある様々な感情に気づくとき、
自己という中心からではない、
新たな行為が生まれるのです。

利己的な行為に対するあなたの気づきが、
一切の利己的な行為と決別します。

自己という発信者不在の行為こそが、
正しい行為ではないでしょうか?

そのような行為こそ、
愛や自由、秩序ある行為と、
呼べるのではないでしょうか。



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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