思考〈過去〉ではなく事実〈現在〉を見る・聴く

2019/09/13

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身体の声に耳を傾けるのは、とても難しくないですか?

自分では身体の声を聞いているつもりでも、
実際には思考の声を聞いている場合が多いのではないですか?




体調の悪いとき、あなたはどうしますか?

食欲がないときに少しでも食べて元気になろうとするなら、
あなたは身体の声ではなく頭の声に従っています。

身体の声に耳を傾けているのなら、
普段のように食べ物に反応しない
ご自身の身体の声を聞き逃さないでしょう。

食欲がないのは身体が食べ物を欲していない or
拒否しているサインだと理解することでしょう。

しかし食べないと元気にならない、
食べないと益々弱って病に勝てないという考えを
信じているあなたは身体の声を無視して
無理にでも食べようとします。

あるいはあなたの頭の声、知識が引っ切りなしに
喋る声がうるさくて身体の声を聞きとれなく
なっているのかもしれません。


関連記事:知識の正体
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目の前の相手や出来事をまっさらな目で
観察することが難しいように、
身体の声を思考に邪魔されず聴くことは
簡単ではありません。

これまでの人生経験を踏まえて今日出会う人や事を観察しても、
過去のそれとは違う新たな状況に出会い
把握することはできないように、
過去の知識の集大成である思考に耳を傾けていては、
身体の声を聴くことはできません。




生きるうえで大事なのは、
過去という鏡を掲げて現在を見るのではなく、
過去という色眼鏡をかけず現在に出会うこと、
観察すること、聴くことではないでしょうか?

過去を片づけることなくして、現在に出会うことはできません。

既に終わってしまった出来事がどんなに立派な体験だとしても、
後ろを振り返ったまま前を見ることはできないのです。

過去から自由なとき初めて私たちは、
今に生きることができるのではないでしょうか!




老子だったと思うのですが彼の言葉で締めくくりたいと思います。
           [間違っていたらすみません]

憂鬱なとき、あなたは過去に生きている
不安や心配で心が一杯のとき、あなたは未来に生きている
気分の良いとき、あなたは現在〈いま〉に生きている



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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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