スピリチュアルカウンセラーと自称する多くの方が
「私たちは一つである」「私は宇宙である」と言いますが、
これは非常に危険です。
なぜ分離が生じるかについては過去一緒に検証しましたが、
分離の消滅は分離に気づいたときに起こります。
分離が消滅すると分離が消えるだけで「私たちは一つである」
という発想にはなりません。
このような発想は、分離のあるところに生まれるのです。
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適切な例えかどうかわかりませんが、空気を例にとってみましょう。
空気に福岡の空気や東京の空気というような、分離はありません。
仮に、空気に声があるとします。
このとき空気は「私は一つである」と主張するでしょうか?
空間という空間に及ぶ空気が、
自分は一つであると言うでしょうか?
分離のない存在が、「一つ」だと主張するでしょうか?
「一つ」という言葉自体、分離を想起させませんか?
「私は一つである」「私は宇宙である」
と語っている方、感じている方!
それはあなたの体験に基づいたものなのか?
それともあなたがそう信じているのか?
このように自問してみなければなりません。
もし信じているのであれば概念を信じているのであり、
それは真実ではありません。
自らの体験に基づくものでも人に特定の概念を
植え付けることになりそれは過去何千年にわたり
宗教が行ってきたことであり、そのようなプロパガンダは
人類を凡庸で従い模倣することしかできなくしてしまうのです。
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信じると、私たちの観察は歪みます。
特定の意見や信条という概念に囚われた心は、
決して自由ではありません。
柱に繋がれた犬は、決して自由ではないのと同じです。
概念に繋がれた心は、物事をあるがままに見れません。
心が何にも縛られず自由なとき、
私たちは物事を精確に見ることができるのです。
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歪みなくありのままを観察する
ですからあなたが「私は一つである」「私は宇宙である」
という信念を持っているなら、あなた自身や他者のこと、
あなたに起こる出来事を歪みなく見ることはできません。
何かあるごとに概念で自分を納得させようとしますが、
概念は葛藤をもたらし観察を歪ませることしかできません。
概念をもつことの危険をしっかり見て
それらがすっかり脇にやられ心が自由なとき、
新たなものを発見できるのです。
新たなものは概念や信念によってではなく、
心が自由なときに発見できます。
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