「人類はひとつ」「私は宇宙」というプロパガンダの危険

2019/09/03

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スピリチュアルカウンセラーと自称する多くの方が
「私たちは一つである」「私は宇宙である」と言いますが、
これは非常に危険です。

なぜ分離が生じるかについては過去一緒に検証しましたが、
分離の消滅は分離に気づいたときに起こります。

分離が消滅すると分離が消えるだけで「私たちは一つである」
という発想にはなりません。

このような発想は、分離のあるところに生まれるのです。


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適切な例えかどうかわかりませんが、空気を例にとってみましょう。

空気に福岡の空気や東京の空気というような、分離はありません。

仮に、空気に声があるとします。

このとき空気は「私は一つである」と主張するでしょうか?

空間という空間に及ぶ空気が、
自分は一つであると言うでしょうか?

分離のない存在が、「一つ」だと主張するでしょうか?

「一つ」という言葉自体、分離を想起させませんか?






「私は一つである」「私は宇宙である」
と語っている方、感じている方!

それはあなたの体験に基づいたものなのか? 
それともあなたがそう信じているのか? 

このように自問してみなければなりません。

もし信じているのであれば概念を信じているのであり、
それは真実ではありません。

自らの体験に基づくものでも人に特定の概念を
植え付けることになりそれは過去何千年にわたり
宗教が行ってきたことであり、そのようなプロパガンダは
人類を凡庸で従い模倣することしかできなくしてしまうのです。


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信じると、私たちの観察は歪みます。

特定の意見や信条という概念に囚われた心は、
決して自由ではありません

柱に繋がれた犬は、決して自由ではないのと同じです。



概念に繋がれた心は、物事をあるがままに見れません。

心が何にも縛られず自由なとき、
私たちは物事を精確に見ることができるのです。


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ですからあなたが「私は一つである」「私は宇宙である」
という信念を持っているなら、あなた自身や他者のこと、
あなたに起こる出来事を歪みなく見ることはできません。

何かあるごとに概念で自分を納得させようとしますが、
概念は葛藤をもたらし観察を歪ませることしかできません。

概念をもつことの危険をしっかり見て
それらがすっかり脇にやられ心が自由なとき、
新たなものを発見できるのです。

新たなものは概念や信念によってではなく、
心が自由なときに発見できます。




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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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