反抗的な行為と秩序正しい愛ある行為の違い

2020/11/27

愛 真理 自由 秩序 気づき 観察 思い込み 条件付け 生きる 利己的な私 理解 洞察 事実

t f B! P L
振り子運動は社会のシステム内の運動である、社会から自由になるためには振り子運動が止まなければならない

正しい行動とは


正しい行動とはそれ自体独立したものだと
過去の2つの記事でお伝えしましたが
上手く伝えることができたかどうか
わからないので今回はシンプルに説明します

敷かれたレールをただ走る人も
反抗してレールから外れる人も
今ある社会システムの域を出ません

過去の記事
反抗という行為を止める
普通に抗うのは普通に縛られること

社会の常識に沿った生き方:普通の生き方


ここに振り子があります

Aが社会の常識や倫理に沿った生き方とします

現在の社会が良しとするものを
追いかけるのがAです

夢や理想を追い求めること
野心や野望を持つこと
地位や名声、権力を手に入れること
努力すること、いい大学や会社に
入るため一生懸命勉強すること
優しい人間になること
人から尊敬される人物になること
成功して豊かな暮らしを手に入れる
こと等がAのすることです

社会に反抗した生き方


BはAとは反対側に振り切った位置にあって
社会に対して反抗・抵抗した生き方です

やりたいことは何でもやるといった
快楽主義であったり、ド派手な格好を
して周りの人を驚かせたり、とにかく
常識に反した破天荒な行動をとるのがBです

いま流行っている(?)「あざとくて何が悪い」
というのもBです

A・Bの行動は社会システムの域を出ない


AとBは一見全く異なる行為のように見えますが
実際はどちらも大して変わりません

ここからが重要です

Bに辿り着くにはまずAに行く必要があります

BはAから生まれました

親子は他人ではないようにAはBの
生みの親でありAなしには生まれません

つまり社会に染まった手で社会に抵抗しても
あなたが触れるものは必ず社会の色に
染まるということです

だからどんなに常識やルールを嫌おうと
あなたの行為は全て憎んでいるものの
色に染まります

つまり.....

AもBも社会の常識や理念を
条件付けられた人のやることなのです

ここまで理解できましたか?

※『条件付けについて

人は社会システムから自由になれない?


ではどうすればいいのか?

私たちは何をしようと社会システムから
自由にはなれないのでしょうか?

現在の社会に沿った生き方 or 反した生き方
のどちらかしかないのでしょうか?

この答えをこれから一緒に見出していきます
(そのためにも結論や推論を携えないでください)

※『結論に至ってはいけない理由

あなたに行動を促すのは誰なのか?


振り子の支点は何でしょう?

人は「ああでもない、こうでもない」と言っては
右に振れたり左に振れたりと忙しくしていますが
行動するよう始終突っついてくるのは誰ですか?

ずばりそれはあなたです

もっと言うとエゴです

そうです、支点はエゴです

※エゴについてはコチラをご覧ください

エゴから生まれる行為は無秩序である


エゴから生まれる行為はそれが何であれ
自分勝手なものであり、エゴは無秩序な
行動しかとれません

ある専門家から別の専門家へ
ある宗教からまた別の宗教へ
ヒーラーからヒーラーへと
渡り歩いている人々の姿を見ると
人間の行為がいかに無秩序かわかります

※『無秩序で矛盾だらけの行動への【気づき】

混乱した者は混乱しか生み出さない


混乱したあなたが選ぶグルも宗教もメソッドも
すべて混乱しています

というのは曇ったガラス越しに見て
真実にみえるものはそうではないからです

混乱した行動しかとれないのがエゴです

この自覚がないと、あなたの行動を
決定しているのは間違いなくエゴです

※『あらゆる混乱の原因であるエゴ
 『エゴが獲得・達成・一体化するもの

エゴの運動に気づくとエゴの運動は終わる


自覚がないとと私は言いました

そうです、自覚するとエゴの運動はストップします

エゴによる行為はどれも無秩序であり
混乱しかもたらさないことを理解すると
エゴの運動は止まります

大きく振れていた振り子は止まります

エゴを落とすと他者とぶつからない


エゴを落とした人のとる行動は
先ほど言ったAでもBでもなく
支点の真下に位置するCです

Cは人との間に対立をもたらしません

というのはエゴを落とした行為は
全体的な行為であり、特定の人に
都合が良くてその他大勢を無視した
行為とは違って誰も排除しないからです

エゴを落としたときだけとることができる
全体的な行為というのは自分だけでなく
あらゆる人に良い行為です

自分や周りの人の利益のみを考えて
為された行為は同じように行動する人と
必ず対立しますがエゴのない行為は
自己本位な行為とぶつかることはありません

※『全体的な行為vs利己的な行為

秩序・自由・愛のある行為


Cには秩序があり自由があり愛があります

秩序 → 混乱したエゴを落とした行為には秩序がある

自由 → 社会に反した行為とは違うので
    社会にもエゴにも縛られていないから自由

愛  → 利己性の影がない行為には愛がある

※『エゴが止むと愛・美は現れる


Cは時代が変わっても正しい行為です

時間に影響されないので純粋なる行為と言えます

※『過去から自由な純粋な行為
 『正しい秩序ある全体的な行為

社会に縛られていることを自覚しよう


『正しい行為を目指そう』と言ってはいません

目指すという行為は自我の運動に
他ならないのでそんな愚かなことは薦めたりしません

そうではなく、AとBの行為は
社会に縛られた行為であり
振り子運動をしているかぎり
正しい行動はとれないことを
理解しよう!と言っています

本当に理解する、のですよ?

理解すると行動が変わる


理解するとあなたの明日からの行動が変わります

あなたは1つ1つの行為に今までにない
注意を払います

汚れた手で触れてないか、注意を払います

エゴに汚染されていないか
一瞬一瞬の行為をチェックします

この徹底した観察がエゴを焼き払います

※『エゴはこうすると止む

エゴを落とすと正しい行為は生まれる


こうしてエゴがなくなると
正しい行為はそのときそこにあります

そのときのあなたの手は社会に染まっていません

また『正しい行為』を前もって知ることはできません

私がもし「正しい行為は・・だ」と言えば
それがあなたにとって概念となり
それは『正しさ』ではなくなってしまいます

それでは既存宗教のやっていることと同じです

無秩序な行動を取り除く


私に言えることはただ1つ↓です

「あなたは無秩序な行動しか知らない」
「混乱したあなたに正しさは捉えられない」から
正しさを追い求めずに無秩序な行動を取り除きましょう

心から混乱がなくなると何をしなくても
正しい行為があなたを通してあらわれます

それは風に揺れる樹々のように
愛のリズムにのってあなたを通してダンスします
☆☆

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真理探究に15年を費やした後あらゆる修行・規律・イデオロギーは不毛であると気づく。以来感覚だけを頼りに思考と感情を刻々と観察しながら自己について学んでいる

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