感情はコントロールできるものではない
感情は跳ねているボールのようです
跳ねているボールが「あなた」であり「わたし」です
だから跳ねを止めることのできる
「あなた」や「わたし」はいません
弾みが止むまで待つこと以外、あなたには何もできません
できると思っているならそれは思い込みです
跳ねているボールが弾まないように必死に止まろうと
しているところを想像してください
滑稽でしょう?
しかし私たちは同じことをいたって真剣にやっています
感情に対して同じことをやっています
まるで自分の意志で止められるものであるかのように
必死になってそうしますがそれは土台無理な話です
※『感情は抑制・コントロールできない』
感情をコントロールできると何故思っているのか
ではなぜコントロールできると思っているのか..
それは小学校の道徳の授業でそう教わったからです
泣いていると「泣くな、我慢しろ」と大人に言われて育ちました
カッとすると「怒ってはいけない」「恰好悪い」「子供っぽい」
「コントロールしろ」と言われて育ちました
だから負の感情が芽生えると教わった通りに
それ~コントロール~を実行します
以来私たちは感情はコントロールできるものだと
思い込んでいます
つまり、ボールをドリブルする「あなた」が別にいて
ボールであるあなたを自由に操ることができると
思い込んでいるのです
※『条件付け・思い込みについて』
感情はあなたの一部で別個の存在ではない
もし感情がコントロールできるものだとしたら
それはあなたが感情とは別に存在しているときです
「ボール」と「人」のように
「感情」と「あなた」が分離していれば
コントール可能ですが感情=あなたなので
操ることのできる「あなた」はいません
つまり感情をコントロールできる「あなた」がいる
というのは幻想なのです
※『内部に二元性は存在しない』
『不毛な努力・不毛なコントロール』
【感情=あなた】と理解すると抑えようとする行為は止む
跳ねているボールが故意には止まれないように
感情は意志の力でコントロールすることはできない
このことを理解するとコントロールしようと
あたふたする心の動きは止みます
こうして感情を抑えたり超越しようとしたり
昇華させようという心の衝動が止むと
ボールがひとりでに止まるように
感情も30秒以内に消えてなくなります
※『思考が感情に命を吹き込む』
感情を引きずるのは思考と心の動きが原因
「いやいや、そんなバカな」と
パソコンの前で呟いているそこのあなた!
あなたの感情が1日 or 1か月以上続くのはそれを
コントロールしようとしたり逃げ回ったり
超越しようとして忙しくしているからです
やっつけたい感情について考えを巡らせているからです
憎しみをどうしたものかとパソコンを開いてみたり
怒りを鎮める方法を自己啓発本の中に探してみたり
自分磨きを絶え間なく実践したりしているからです
だからいつまでたっても不快な感情から自由になれません
※『自分磨きという虚偽』
『心を磨くことはできない』
感情は忙しない心に生じる
感情をどうにかしようとしてやっていることが
感情を長引かせています
感情から逃れようとしてやっていることが逆に
感情を強めています
というのは"何か"を行っているあいだ心は活発に
動きまわっているので忙しない心に生じる感情
からは自由になれないのです
感情は忙しない心から生じるもので
穏やかな心には決して生まれません
※『エゴ・自我の運動』
『変わるためにやるべきたった1つのこと』
感情に働きかける行為が感情を強める
心の揺れが感情でありまたそれはエゴの運動でも
あるわけだから感情を抑え込むことも
克服法を探すこともエゴを活発にして
心を激しく揺さぶるので感情から
自由になるどころか強めてしまいます
つまり感情に働きかける行為は
火に油を注ぐことと同じなのです
コントロールしよう!克服しよう!という試みが
止まないと感情は心のなかで叫び続けるのです
※『心は変えようとしてもダメだが理解すると変わる』
感情を抑えるのではなく見つめよう
ですから抑えようとするかわりにあるがままの感情を
見つめましょう
感情が顔を出した瞬間にそれに気づいて
注意深く見つめるとまたたく間に消えてなくなります
跳ねているボールがひとりでに止まるまでの
時間よりも早く感情は消えてしまいます
感情は見つめるだけで消えてなくなる
信じられないかもしれませんが
感情は見つめるだけで本当に止みます
コントロールも努力も必要もありません
あなたは見つめるだけでいいのです
見つめることさえできればあなたはもう
感情に振り回されなくなります
※『感情からの自由:感情を見つめる』
『感情から逃げないで感情を注視する』
物事の本質を捉えることができるのは静寂な心
生まれた感情を見つめると心は静かになります
穏やかな湖面のように静かになります
静かな心に映るのがあるがままの事実です
つまり静寂な心だけが物事の本質を掴めるのです
※『思考が静まると物事の本質が見えてくる』
『自己を理解すると物事の本質を見抜くことができる』
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