友達の電話で甲本ヒロトさんが
テレビに出演されることを知り
彼の歌に恋をしていたころの
自分を思い出したので今回は
彼に影響を受けたことや学んだこと
学ばなかったことについて書きます
甲本ヒロトさん
高校1年のときはじめて
彼の歌に出会いました
それは衝撃的な出会いでした
彼の声もストレートな歌い方も好きだったし
坊主頭もすごく似合っていたし
なにより歌詞が心に響きました
彼の歌い方は「どうだ!上手いだろ」
と主張してくるようなものではなく
素直に声を出している感じが
今でも好きです
そのシンプルなスタイルが歌に込められた想いを
際立たせていたように思います
そのころ社会の矛盾に対していろんなことを
感じていた私は一瞬で彼に魅了されました
シンプルな曲にストレートな歌詞を
のっけてジャンプしながら歌う
彼の姿は私には自由に見えました
当時、世間の常識やしがらみに縛られて
身動きできなくなった大人しか
知らなかったから余計に
そう見えたのかもしれません
殆どの大人は戯言ばかり言います
(誰もが同じことを言うことが彼らがみんな
社会に条件づけられている証拠なのですが..)
『勉強しないと後悔するよ』
『いい大学に入りなさい』
『夢は? 希望は? 目標は?』
『手に職をつけなさい』
『女性が働く時代よ、自立しなさい』
『プライドを持ちなさい』
『将来について考えなさい』
『キレイごとでは生きられない』
『世の中は白黒はっきり分けられない』
『器用に生きなさい』
『人生は我慢だ』
『好きを仕事にできるのはほんの一握りだ』
※『条件付けについて』はこちらをご覧ください
点数がいいと喜ぶ人たちばかりで
テストに何の意味があるのか..
勉強ができたから何だというのか..
こういった疑問に納得のゆく答えを
返してくれる人も答えを一緒に探して
くれる人も私にはいませんでした
私の周りには自由な心の持ち主はいなかったのです
彼は私の知っているお行儀が良くて
愚かで薄っぺらくて杓子定規な
考え方をする大人とは違って見えました
会ったことはないので彼がどんな人か
本当のところはわかりませんが
当時の私にはそう見えました
純粋な大人がいてほしいと..
もしかすると読者の方も同じような
経験をされているのかもしれません
ここからは『現在の私』が『高校生の私』に
言いたいことを書きます
~あなたがしてるのは反抗/抵抗ではないですか?~
このように訊く理由はね、当時の私は
反抗していただけだったからです
勉強や規則や道徳や倫理を
押しつけられる『場』にいることが
ただただ苦しくて窮屈だったから
”こうあるべき”を押し付けてくる
大人や社会に反抗していました
大人たちの言うとおり従順に
勉強してる子と関わるのも
自分の心が汚れてしまいそうで嫌でした
ただ「勉強しない」という姿勢は
先生や同級生にハッキリ見せて
大人や学校、システムに抵抗していました
甲本ヒロトさんはね
どんなことに対しても疑問を持つことを
教えてはくれましたが
反抗すること・抵抗することの
虚偽は教えてくれませんでした
どちらかというと彼の歌には反抗心に
火をつけるようなところがあるように思います
「反抗」は今の社会に対する反動だと
教えてくれる人はいませんでした
話がわき道に逸れますが...
アドバイスって殆ど役に立たないので
アドバイスしてくる人には注意してください!
何でもそうですが人の言うことは
絶対に鵜呑みにしないでね
アドバイスする人が真剣に生きているかどうか
物事の本質を掴んでいるかちゃんと見極めてね
※『物事の本質について』
話を元にもどすと…
特に若い人に理解してほしいことは
社会のレールに沿って生きることと
それに反抗することは大して
変わらないということです
反抗するという行為は常識や価値観に
従って生きることと同じで
社会システムから自由ではありません
何故かというと...
「抵抗」は今の社会に対する
リアクションに過ぎないからです
現在の社会システムがなければ
生まれなかった行為だから
今の社会に基づいています
つまり…
現在の社会が狂っているなら
そこから生じる抗うという行為も
狂っているということです
このことを理解することが大切です
つまり…
反抗するだけでは十分ではないのです
というか反抗は✖です
不正や腐敗を目の当たりにして
文句を言ったり抵抗するかわりに
その同じものがあなたの内にないか
徹底的に調べてあればそれと
手を切ることが重要です
このような行為は反抗とは違い
今の社会に依存しない行為です
現在の社会に依存しない独立した行為が
自由で正しい行為なのです
※『腐敗した社会をどう生きる?』
例を挙げます
非暴力という概念は暴力から生まれました
大多数の人間が絶望的なまでに
暴力的だから非暴力という
暴力とは反対の概念が出来たのです
というのは暴力が存在しなかったら
非暴力という概念は生まれなかったわけです
つまり非暴力は暴力に依拠しています
暴力と同じ根っこから生まれた
非暴力は暴力そのものなのです
暴力という種から咲く花(非暴力)は暴力的です
反抗/抵抗も同じです
現在の腐敗した社会に抵抗する行為はどれも
今の社会に基づくものなのでそれは
腐敗の色に染まります
つまり腐敗した社会に対する抵抗も
腐敗しているのです
このことを理解すると今の社会に対する
リアクションでしかない反抗/抵抗という
行為のすべてが終焉します
私がこのことに気づいたのは20年以上あとのことでした
長くかかりましたが読者の方には
私のように回り道をしてほしくありません
このことに今ここで気づいて
不要な抵抗は止めて物事の本質を
掴むことに情熱を注いでください
物事の本質については他の記事でも
触れましたが…
物事の本質を掴むとあなたは何をしても
正しい行為しかとれなくなります
※『物事の本質について』
例えば勉強や仕事…
良い成績や輝かしい経歴が必要になるのは
良い暮らしをしたいという願望があるときだけです
努力や我慢が必要なのは
あなたに人並みの暮らしがしたい
という願望があるときだけです
でももし....
あなたが貧しくても構わないから好きなことをして
生きていこうと思うなら、大学や経歴、努力や我慢
競争はあなたには必要ありません
このことを理解したときにとる行動は
抵抗ではありません
このときあなたが「勉強しない」のは
物事の本質がわかったからであって
「勉強しろ」と言う誰かor何かに
抵抗しているからではないのです
うまく説明できているでしょうか?
※『努力・目標・理想の虚偽を見る』
物事がはっきり見えると不要なもの・不純なものが
わかるのでそれらから離れます
常識や価値観に縛られていないことを
奇抜なファッションや髪型で
~これは単なる抵抗・反抗~
表明する必要はないのです
こんなことを言ってますが
若い頃の私は奇抜な恰好をしたり
髪を染めたり坊主にしたりと
『普通』という枠に収まらぬよう
色んなことをしていました
当時の私は洋服やヘアスタイルを
反抗する手段として使っていました
自分の周りで起こっている理不尽
に対するプロテストだったのです
ですが今はわかります
抗うという行為は彼が抵抗しているものに
縛られている証拠だということが..
『普通』であることによって安心する人と同じように
『普通』に抵抗する人も『普通』に依拠しています
なぜなら抵抗は『普通』があるからこそ
できる行為ではないですか?
このことを洞察すると無秩序な行為は止みます
大多数の人が良しとする概念の虚偽を見ると
反抗という愚かなことはせず概念を一掃します
これが今の社会に染まることのない純粋なる行為です
伝統や文化、倫理や道徳から自由な行為です
※『正しい行動のための正しい観察』
甲本ヒロトさんに話を戻します
今、彼の歌を聴いて自分がどう感じるかわかりません
というのは彼の歌には夢や努力を奨励する
ような歌詞があったので現在の私は昔とは
違う感じ方をするだろうからです
当時、私はすでに社会や教育によって
強く条件づけられていましたが
彼の歌からも、夢や目標を追い求めることや
エゴの運動に他ならない努力を
素晴らしいことであるかのように
条件づけられてしまったのは残念なことです
というのは夢・目標・努力は心に葛藤を
もたらし葛藤すると人は必ず苦しむからです
苦しみの温床であるこれらのものを
みんなに薦めることは結果として
多くの人を苦しめることになります
人々の心を傷つけることになります
※『努力しないだけで葛藤から自由になれる』
どのような形の利己性も危険です
夢や努力は利己性から生まれます
努力にしろ夢にしろ目標にしろ
利己性は人間や社会を冷酷無比にします
※『利己性について』
ただ今の私が高校生の頃とは違うように
彼も変わっているでしょうから
今、彼が何を感じ何を想うかに興味があります
テレビに滅多に出ない彼ですから
何を語るか楽しみです
対談相手は菅田将暉さんです
明日21:00、興味のある人はぜひ
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