「愛のない自分、愛したことのない自分」ありのままの自分を見つめる
2020/06/24
誰にも愛はあると人は言う
本当にそうだろうか?
野心的な人が誰かを愛することができるだろうか?
利己的な人が愛せるだろうか?
恐れを抱く者が人を愛せるだろうか?
人は一日のわずかな時間に
愛が身体の中を流れるのを感じるかもしれない
女子高生が楽しそうに会話する姿を見て...
子供がキャッキャッと笑っている姿を見て...
際限のない空の美しさを目にして...
鮮やかで深い色とほのかな香りを併せ持つ
美しい花を目の前にして...
鳥の可愛いらしい鳴き声を聞いて
※『愛は無償である:愛があるとき自我はいない』
しかし一日の大半、愛がなければ
一瞬の愛にどれほどの価値があるだろう?
愛があなたの一日に、あなたの人生に
浸透していないなら一瞬愛があったって
どうしようもない
・家族といつも喧嘩している
・嫉妬で苦しんでいる
・恋人を時折憎らしくおもう
・同僚と競っている
・地位や権力が欲しくてたまらない
・何事も成し遂げられないことを恐れている
・寂しくて仕方ない
・理想と現実の間で葛藤している
・幸せを必死で追い求めている
・愛されることを願っている
このように嫉妬や憎しみ、競争や葛藤
寂しさや恐怖のあるところにどうやって
愛が存在できるだろうか?
悲しみや寂しさで心が一杯のときに..
自らの野心を満たすことに心を
奪われているときに愛が流れる
ことなどあるだろうか?
格闘や競争・対立や野心のあるところに
愛が近寄ってくるだろうか?
※『優しさと利己性は共存しない』
誰にも愛はあると人は言う
しかしこう主張する人は己をよく知らない
彼らは事実に目を背け
思考の作り上げた観念で満足している
自分に愛がないという事実から目を背けて
何もしないことは楽チンだ
自分の心にメスを入れることがないから
醜い心を見て落胆することもないし
変わる必要性を感じなくていいものね
しかし【事実】は殆どの人に愛はないということ
※『事実を見るとき愛に出会う』
愛は願望でも欲望でもセックスでもない
愛は市場で買えるものじゃあない
愛は本から学び得るものではない
ここに挙げたすべての意識を片付けたとき
愛はようやく安心して顔を出す
※『意識の中身を空にする』
自分というちっぽけな殻を守ること
ばかり考えているとき...
自分の悲しみや喜び、自分の愛する人や家族
自分の出世や精神的向上に夢中になっているとき...
私たちが愛に出会うことはない
※『エゴは人を愛せない、愛さない』
私たちがこのことを理解して
自我という殻を脱ぐとき
こちらが求めなくてもそれはやって来る
愛の方が私たちを放ってはおかないのだ
だからエゴを手放そう
利己的でいることの危険をみて利己性を落とそう
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