A 最近瞑想をしているのですが
背筋を伸ばすと腰が痛くなり
とても疲れてしまいます
瞑想していて腰が痛くなったり
しませんか?
私 私も瞑想を始めた当初は
腰が痛くなっていました
良い姿勢を作ろうとすると
どうしても背中に力が
入ったり反り腰になるので...
殆どの人は写真の女性のように
背筋を伸ばそうと無理に
胸を張って骨盤を立て
反り気味になります
このようにすると瞑想中ずっと
背中が緊張しているので
疲れてしまうのは当然です
A ですよね
なぜ瞑想するとき
背筋を真っすぐにして
座らなければならないのですか?
私 瞑想だけでなく
勉強するときもそうですが
背中を丸めると前傾姿勢になり
頭が垂れ頭の重みで筋肉や
血管は伸ばされます
伸ばされると血管は細くなり
血流量は減り脳に行く酸素量も
減って脳の活動が低下します
脳が最大限に秩序正しく機能しないと
瞑想することはできないので
背骨を立てることは大切なのです
難しく書いてしまいましたが
真っ直ぐ座ることが大切なのは
脳にきちんと血流を送るためです
血流が行き渡らなければ
脳はフル回転できないから
瞑想する際に真っすぐ
座ることは大切なのです
ただ真っすぐ座るというのは
骨盤を立てることではありません
これは私も長い間
勘違いしていたことですが
骨盤を立てないことが
腰を痛めないポイントです
A え? 骨盤を立てずにどうやって
背中を真っすぐにして座るのですか?
私 あぐらでも蓮華座でも
椅子に座ってもいいのですが
まず骨盤を後傾させたまま
息を吸い下腹部を大きく
膨らませます
A やってみます
私 お腹を膨らませたら
今度は胸を膨らませます
胸を突き出して
背中を反らせるのではなく
胸腔を広げるような感じで..
このとき膨らませていたお腹を
引っこめてお腹の空気を
胸に移動します
このようにしてできた姿勢は
背筋を張って姿勢を保つときの
ようにどこか特定の箇所に
力が入るようなことは
ありません
骨盤を後傾させて背筋を張らない
これがポイントです
こうすると背中や腰の緊張がとれ
楽で快適で美しい姿勢を
努力なく保てます
これは瞑想に限ったことではなくて
このようにして立ったり座ったり
すると楽だし疲れないし
ずっと美しい姿勢でいられます
A 本当、この姿勢だと
長く瞑想できそうです
ありがとうございます
ついでに質問ですが
瞑想はいつ行うのがいいですか?
私 まず、瞑想は座らなければ
できないものでも
決まった時間にしなければ
いけないものでもありません
瞑想はあらゆる感情や思考を
自覚することなのでどこでも
何をしていてもできます
ただ食後は消化のために
血流がお腹に集まるので
脳は働きにくく避けた方が
良いかもしれません
空腹時や起床後、就寝前が
いいと思います
A 瞑想について何かアドバイスを
いただけませんか?
私 真の瞑想は方法や法則がないので
アドバイスすることは何もない
のですが強いて言うなら事前に
瞑想する動機があるかどうか..
結果を求めているかを
確認することが大切です
願望や動機があなたの
心の奥深くにないか調べるのです
※『瞑想を始める前に』
『方法・指導者を持たない瞑想』
を併せてお読み下さい
願望や動機があるとき
そこには必ず恐怖があります
「真理に到達したい」
「悟りに達したい」
「苦しみから自由になりたい」
「愛ある人になりたい」
このような願望があると
あなたの内には真理に
到達できないことへの恐怖
あるがままの自分でいること
への恐怖が必ずあります
そして願望・恐怖があるときに
実践する瞑想は願望・恐怖の
色に必ず染まるのです
※『動機のある瞑想』
『動機のない瞑想』
を併せてお読み下さい
最近のドラマで言うと
『家政婦の・・さん』は
製作者や視聴者の願望が
~年の離れた美しい女性と
付き合いたい・家事洗濯を
文句言わずにやってくれる
優しい男性がいたらな~
作品に反映されています
同じようにあなたが願望を
持っているかぎり
満足を与えてくれる体験
快の感情をもたらす体験
恐怖を取り除いてくれる
体験をあなたは瞑想中に
味わうのです
特定のグルに心酔しているなら
あなたの瞑想にはグルが必ず
登場します
しかしそれは思考がこしらえた
幻想という網に捕らえられて
いるだけでそこに何一つ
未知なる体験はありません
つまり願望があるかぎり
あなたの実践する瞑想は
真の瞑想ではないのです
真の瞑想とは願望や恐怖が
終焉するときのみ可能です
そのときに行う瞑想において
未知なる体験をしますがそれは
思考による妄想とは全然違います
だからまず自分自身の願望や恐怖
執着や依存、憎しみや怒りや競争心を
片付けることから始めなければ
なりません
感情や思考を刻々と見つめて
それを焼き尽くしながら
生きるならこれらから
自由になります
願望や恐怖から自由じゃないのに
1日1時間やそこら瞑想しても
残りの23時間思考や欲望や
憎しみに囚われていたら
何にもなりません
※『意識の中身を空にする』
を併せてお読み下さい
ですからまずは内部に願望や
恐怖はないか、調べましょう
調べた結果あったらそれを
辛抱強く観察しましょう
あるがままにとどまるとき
あなたは恐怖や願望から
瞬時に自由になります
自由とは長年の瞑想の後に
やって来るものではなく
瞑想する前に感情や思考から
自由でなければならないのです
内面を注視して願望や恐怖を
終わらせるときあなたは
ようやく瞑想することが
できます
そのときあなたは未知なるもの
新たなものに出会います
それは既知なるものから
完全に自由であり
過去や思考や自我を
超越したものです
※『瞑想は思考と無関係』
を併せてお読み下さい
最後に1つだけ
骨盤を後傾させて瞑想している
写真が見つからなかったので
今日の写真は腰を痛めてしまう
姿勢ですが良い姿勢だと
誤解しないで下さいねw
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